ヨーロッパ周遊旅行の専門店 ユーロエクスプレス BLOG https://www.euro-ex.com ja Travel Blog 冬のフランス旅がすてきなわけ http:///blog/item/12153.html http:///blog/item/12153.html   「寒い」という理由で旅行者が減る冬のヨーロッパ。フランスもその例にもれません。 しかし、冬のフランスには、ちょっと「通好み」な魅力が隠れています。 観光客が鳴りを潜め、街も人々も普段の様子を見せてくれる冬。しっとりと落ち着いた大人旅を叶えてみませんか? 今日は冬のフランスがすてきな理由をご紹介したいと思います。   その1:イルミネーションがすてき 11月の声をきき、夜が長くなりはじめると、街はイルミネーションやクリスマスデコレーションで華やかさを増します。とくににぎやかなのは首都パリ。「花の都」とも「光の都」とも言われるその名にふさわしい輝きを見せてくれます。 見どころは次のエリア: シャンゼリゼ大通りavenue des Champs-Elysées モンテーニュ通りavenue Montaigne ヴァンドーム広場place Vendôme モンマルトルquartier Montmartre ベルシーヴィラージュBercy Village   また、プランタンやギャラリーラファイエットといった大型百貨店では、クリスマスに向けて店舗を挙げての大がかりな飾り付けが行われます。吹き抜けになったホールの大空間に設置される巨大なクリスマスツリーは、毎年意匠が凝らされ、パリっ子の話題をさらうほど。 もちろん、街角のブティックもそれぞれクリスマス仕様になり、ウインドーショッピングがますます楽しくなりそうです。 パリで年越しをする幸運を得た方は、ぜひ大晦日はエトワール広場へ。凱旋門にプロジェクションマッピングが映し出されるほか、カウントダウンのタイミングで花火が打ち上げられます。 新年の第一声は「ボンナネBonne année(明けましておめでとう)!」そこにいるすべての人々と新年の到来を分かち合える、すてきな瞬間です。   その2:ソルド(バーゲンセール)がすてき 新年早々、フランス人がそわそわするのは、この大型のバーゲンセールが行われるから。フランスではソルドSoldesと呼ばれ、開催は夏と冬の年2回。このソルド、公平性を期すため政府が日程を定めています。今冬のソルドは1/9 (水)~2/19(火)の6週間(国境付近の県や海外県では1週間ほどのずれがある)。ラグジュアリーブランドもプチプラも、一斉にソルドとなるこの期間、お買い物を楽しむにはベストシーズンといえそうです。   その3:カキがおいしい フランスの冬のグルメ、といえばやはりこれ。フランス人にとっては、クリスマスや新年のご馳走でもあります。多くの家庭に、オイスターナイフや専用フォークが備えられているようです。 フランス人がどんなにカキが好きかというと、消費国として、なんと世界第1位!もちろん生産国としてもヨーロッパ第1位、世界でも第4位を誇ります。 その約半数を生産するのは、ヌーベル・アキテーヌ地方の町、マレンヌと、大西洋に浮かぶ島オレロン島。ここでとれるグリーンオイスター(フランス語でFine de Claire Verteフィン・ド・クレール・ベルト)は、農業省認定の逸品。この地の浅く粘土質のいけすで、通常より長い日数をかけて育成されることで、みずみずしく風味豊かな味わいとなります。特徴的なのはその色。海藻の一種の成分を取り込んで、ふんわりと薄緑色の肉質となるのです。まさにテロワールを映したこのカキ、現地で新鮮なものを食べたいと思いませんか?ボルドーから車で約2時間、ロシュフォールから約30分の道のりです。 カキのお供はもちろん白ワイン。ロワールのミュスカデ、ブルゴーニュのシャブリ、アルザスのリースリングあたりでしょうか。焼いたカキにはシャンパーニュできまりです!   その4:男と女がすてき 「男と女」と聞いて、あの映画を思い出す方は、なかなかのフランス通ではないでしょうか?1966年、ヌーヴェルヴァーグの潮流の中で生まれたこの映画、スタイリッシュな映像と、「シャバダバダ」の音楽が絶妙で、当時のパルム・ドールを受賞しました。 クロード・ルルーシュ監督は、シーズン・オフのドーヴィルの海辺で、この映画の着想を得たと言われています。撮影も同様に冬のド―ヴィル。お茶を飲むシーンは、当地のランドマーク、ホテル・バリエール・ル・ノルマンディで撮られました。 海水浴客が去り、少し淋しくなった海辺の保養地は、大人の二人が寄り添うのにぴったりです。ゴージャスなリゾートホテルも、冬にはリーズナブルな価格を提供してくれます。冬のやわらかな光に、水彩画のようになったノルマンディの海を、だまってふたりで眺める。そんなひと時も、映画みたいでなかなかすてきだと思いませんか。 ド―ヴィルへはパリ、サン・ラザール駅から電車で約2時間10分。ノルマンディ様式の伝統の木組みの街並みが、パリとはひと味違うフランスをあなたに見せてくれるはずです。 Mon, 17 Dec 2018 00:00:00 +0900 オランダの画家、フェルメール http:///blog/item/12124.html http:///blog/item/12124.html  世界的に有名な画家、フェルメールはオランダの画家ということをご存じでしょうか? 現在東京でフェルメール展も開催され、多くの人が訪れています。 そんな人気のフェルメールにちなんでオランダ旅行で行きたいフェルメールゆかりの地や フェルメール作品の展示されている美術館などをオランダの魅力と合わせてご紹介します。     ・国立ミュージアム(アムステルダム) まず、ご紹介したいのがアムステルダム国立ミュージアムです。 国立ミュージアムは大きく、見ごたえもあります。 こちらの美術館にあるフェルメール作品は『牛乳を注ぐ女』や『手紙を読む青衣の女』、『小路』、『恋文』となります。 また、フェルメール以外の作品で見逃せないのは、レンブラントの『夜警』です。 この作品は貸し出されることがなく、アムステルダムの国立ミュージアムでしか見れない貴重な作品となります。 アムステルダムへ訪れた際は、ぜひ足を運んでみてください! 他にも17世紀のオランダ絵画がそろっており、いろいろと楽しめる美術館となっております。   アムステルダムは、国際空港もあるオランダの中心都市。 オランダに来たなら、必ず立ち寄りたいですね。 街には運河が扇状に通っており、運河を眺めながら散策ができます。 お店やレストランも豊富にあり、なかなか飽きない街でもあります。 国立ミュージアムやゴッホ美術館、アンネ・フランクの家、王宮、レンブラントの家、様々な教会・広場、 ハイネケン・エクスペリエンスなど訪れたい施設が多く、迷ってしまうほどです。   ・マウリッツハイス美術館(デン・ハーグ) 次にご紹介したいのは、ハーグにあるマウリッツハイス美術館。 フェルメールやレンブラント、ルーベンスなどの作品が展示されています。 なかでもフェルメールの『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』や『デルフトの眺望』はとても有名です。 この作品を見に訪れたい方もいるのではないでしょうか? その他レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」も有名な作品です。   デン・ハーグはオランダ第3の都市といわれています。 また、国会議事堂、政府関連機関、大使館などが集まるオランダの政治の中心です。 主な見どころは、平和宮、ビネンホフ、ハーグ市立美術館やエッシャー美術館となります。 トラムに乗って10分程行くと、スヘフェニンゲンというビーチにも行くことができます。 のんびりと海を眺めに行ったり、夕日を見に出かけてもいいですね。     ・デルフト フェルメール好きなら行ってみたい、フェルメールが生涯を過ごした町、デルフト。 フェルメールはデルフトで生まれ、デルフトで亡くなりました。 デルフトには、『小路』に描かれたとされる場所や『デルフトの眺望』の風景に近い場所があります。 作品の場所を探しながら町を散策してみてください。 旧教会には、フェルメールが埋葬されました。墓石はもうありませんが、記念碑が埋め込まれています。   デルフトの見どころは、マルクト広場、新教会・旧教会、市庁舎、プリンセンホフ博物館、フェルメールセンターなどがあります。 小さい町ですが、可愛らしい町でところどころでかわいい写真スポットが見つけられます。 また、青と白のデルフト陶器は有名ですね。 ロイヤル・デルフトは17世紀から続くデルフト焼陶器工房で、日本語のガイドツアーや音声ガイドもございます。 2018年、ロイヤル・デルフト365周年となります。     ・フェルメールセンター(デルフト) 最後に、デルフトにはフェルメールセンターというフェルメールに関する博物館があります。 フェルメールが残した作品は37作品と少ないですが、ここでは、本物ではなくても全作品実物大のレプリカを見ることができます。 当時の町の様子や作品に秘められたメッセージなど、ここでしか知ることのできないフェルメールについての展示が見られる場所です。 デルフトを訪れる際は、ぜひ立ち寄ってみてください。     フェルメールの作品は人々の日常を描いています。そして細かく、ほぼ完璧に仕上げられています。 しかし、完璧な作品の中に窓ガラスの一部が割れていたりとちょっとした未完成の要素を取り入れていたりもします。 よく見ると、いろいろな発見のあるフェルメール作品。 フェルメールを思いながら、ぜひオランダ旅行を楽しんでください。   オランダは小さい国ですが、見どころ満載の楽しい国です。 オランダ旅行をご検討の方は、ご相談も承りますので、ぜひお問い合わせください。 オランダからベルギー、フランス、ドイツなどの周遊ツアーも承ります。   オランダのツアーはこちら ・オランダの芸術に触れる旅     Mon, 03 Dec 2018 13:05:48 +0900 バスクのおいしいを探しに行く旅 おすすめの4都市 http:///blog/item/12023.html http:///blog/item/12023.html フランスとスペインの国境付近に広がるバスク地方。 スペイン側にはバスク州の3県とナバーラ州の計4領域があり、フランス側にはフランス領バスクの3領域とに分けられ今もなお、「バスク文化」は色濃く残り、バスク・ナショナリズム運動の中で「サスピアク・バット」(7つは1つ)というスローガンが掲げられています。バスク地方全体の旗としてイクリニャ(バスク国旗)が、バスク地方のシンボルとしてラウブル(バスク十字)があり2つの国をまたぐもひとつの民族という意識が強く残っているといいます。 フランスともスペインともいえない【バスク】の魅力の一つは何といっても美食! これからバスク地方のおいしいもの巡りを始めましょう。 ◆バイヨンヌ/Bayonne◆ フレンチ・バスクの中心地。ここはチョコレート発祥の地として有名です。ユダヤ人が16世紀以降にスペインから追われバイヨンヌに来てよりショコラの歴史が始まったそうです。 毎年10月にはチョコレート祭りが開催され、町中が甘い匂いいっぱいに広がる素敵なイベントですね。 ◆アルデュード村/Aldudes◆ Pierre Oteizaピエール・オテイザと聞いて思い浮かぶものはあるでしょうか?生ハムの作り手としてもっとも有名な彼の名は、キントア豚と呼ばれるこの村の食材「バスク豚」です。バイヨンヌから南に車で1時間ほどの村には田園風景が広がり、バスク豚がのびのびと成育されています。生ハム・パテ・リエット・ソーセージなどおいしい豚肉製品がここではいただけます。 ◆サン・セバスチャン/San Sebastian◆ 世界一予約の取れないレストランと呼ばれたスペインの伝説のレストラン“EL BULLI(エル・ブリ)”のシェフ、フェラン・アドリアをおしてサン・セバスチャンはレストランの質、食事の質が世界で最も優れている町ではないかと語るほどにおいしいものが溢れています。 Mimo San Sebastian(ミモ・サン・セバスチャン) ここではマーケットツアー&料理教室が開催されています。“バスクのおいしい”を味わうなら自らの手でバスク料理を作るというのも旅の醍醐味ではないでしょうか。 ◆ゲタリア/Getaria◆ スペインバスクの昔ながらの雰囲気が残る小さな港町。ゲタリアで有名な微発泡ワイン「チャコリ」は魚介に合わせることでお互いのおいしさを引き立てあうといいます。最も歴史が古く出荷量も一番なチャコリは Txomin Exaniz(チョミン・エチャニス)。 生産量も少ないので、外に出回りにくくこの町でおいしい魚介と共に味わうのがおすすめです! スペインバスクにはミシュラン3つ星のレストランが4軒もあり1つ星から3つ星までを合わせると20軒ほどあり、奇跡の場所と評されています。 ビスカヤという街にはスペイン最年少3つ星シェフ“エネコ・アチャ”が腕を振るう“アルスメンディ”というレストランがあり、大変な好評を博しているそうです。まるでテーマパークのようなガストロノミーレストラン、高級そうですが行ってみたいものですね。 さあ、皆さんもフランスとスペインをまたぐバスクのグルメ旅へ出かけましょう♪ Mon, 05 Nov 2018 00:00:00 +0900 ヨーロッパで最もロマンチックなハネムーン(新婚旅行)、or 結婚記念の休暇旅行おすすめ http:///blog/item/12016.html http:///blog/item/12016.html 完璧な結婚式を終えたあとは、二人の新たなスタートにシックな新婚旅行を。ユーロエクスプレスがおすすめするハネムーンは、ヨーロッパの都市から、憧れのリゾートハネムーンまで。お決まりの定番クリシェではなく、二人だけのロマンチックな旅行をお届けします。 あなたはハネムーンに何を求めますか。人気の南国リゾート、あるいはロマンス、それともアドベンチャー? 日本ではハワイが圧倒的な人気を誇りますが、ヨーロッパではインド洋が新婚旅行の候補地のトップにあります。日本からインド洋は遠い印象がありますが、観光客の少ない秘密の楽園を目指すのはちょっと特別です。二人だけのプライベートアイランド&ビーチからなる島々ならでは、極上のハネムーンが実現できるはずです。贅沢でセレブなお忍びハネムーンを希望するなら、リゾート派にはセイシェル諸島がおすすめです。 一方、ロマンスを優先するならば、ヨーロッパの歴史的な都市へ。シックで落ち着いた、あなたの感性に響く場所を目指しましょう。シャンパンと、上質なホテル&スパ、ロケーションは絶対。もちろん美しい黄昏もいっしょに。でも、ポストカードのような街並みだけでは、特別であるはずのハネムーンにはふさわしくないかもしれません。 ワイナリー巡り、オペラ鑑賞、セスナ機遊覧、セーリング、ハイキング、スカイダイビング。美味しいものを食べて、息を呑む絶景を見る、そして興奮、絶叫を味わう。贅沢な時間の中で、心に感動を呼ぶ瞬間を過ごしたいもの。アレンジ自在テーラーメイドの旅創りで、オンリーワンの新婚旅行をお楽しみください。以下にユーロエクスプレスでも人気のおすすめのハネムーン目的地をご紹介します。 セイシェル諸島 セイシェルはインド洋に浮かぶ秘密の群島。地球最後の楽園と呼ばれる究極の島々です。ターコイズブルーの絶海に、ひっそりと佇む椰子の木の島。ガラパゴスのように手付かずの自然が残り、ゾウガメやココドゥメール(独特な椰子の実)などのほか、独自の野生生物たちが森の中や、海の中で見つかるはずです。 パウダー状の白い砂浜と、ジャングルと巨岩のコントラスト。ロマンチックでありながら野性味に溢れた島で、溶けるような甘い時間を味わうことができるでしょう。 驚くほど豪華なホテル&リゾートを擁するプライベートアイランド。セイシェルは、お金では買えない価値を求めるハネムーナーに支持されるナンバーワンの目的地です。ハワイやアジアの人気リゾートとは一線を画する特別な体験がそこにはあります。高級なイメージですが、手ごろな選択肢がないわけではなく、セイシェルの旅行専門店セイシェル・リゾートにご相談いただければ魅力的な旅を探すことができます。 フランス パリ ハネムーナーの目的地リストの中に愛とロマンスの中心地、パリが入っていないことがあるでしょうか。数年前にはセーヌ川の芸術橋の欄干に愛の南京錠を取り付けるのがカップルの間で流行しました。現在は撤去されてしまったものの、再び場所を変え、パリのどこかで愛の証が残されています。 夕日に照らされたセーヌ川のほとり、チュイルリー公園、モンマルトルの丘で愛を語らうカップルたち。パリではこのロマンチックな光景が今日もまた続いているでしょう。パリはハネムーンに欠くことのできない滞在先の一つであることは間違いありません。 また、偉大な赤ワインに出会うなら、世界遺産に登録されているボルドーの優雅な市街地と、その周辺に広がるワイナリーを専用車で訪問することもできます。あるいは、心地よい太陽の日差しを求めるなら、南仏コートダジュールへ。紺碧の海と豊かな大地の恵、美食を贅沢にお楽しみください。フランス・エクスプレスがご案内します。 クロアチア ドゥブロヴニク 地中海の澄んだ海と島々、水と緑の豊かな自然、美味しい食事とワイン。ヨーロッパ人も憧れる美しすぎるビーチなど、クロアチアはハネムーンに必要なすべてが揃っています。プリトヴィツェ湖群国立公園は、豊かな森と緑の湖で有名です。世界で最も美しいと言われる滝と自然の絶景をお楽しみいただけます。 アドリア海の真珠と呼ばれるドゥブロヴニクは、クロアチアの中でも最も美しい都市。オレンジ色の屋根、城壁の中の旧市街、紺碧のアドリア海の絶景は唯一無二です。 ドゥブロヴニクから少し北のスプリットは、ローマ時代から続く過去と現在が融合するロマンチックな町並みが魅力。近隣のフヴァル島、ビス島など美しい島々を船で巡らない手はありません。スロベニアに近いイストラ北部のモトブンには、美食、ワイン、トリュフなど上質な食文化が根付いています。静かな山の高台にある上質なホテルやヴィラに滞在し、心と体をリラックさせてください。ロヴィニ、プーラのビーチも近く海好きも安心。ヨーロッパの新婚旅行の滞在先としておすすめです。アドリア・エクスプレスにお任せください。 ギリシャ サントリーニ 素朴でピュア、歴史と神話、乾燥した台地と青と白のコントラスト。ギリシャといえば魅惑の海と島々。青い教会のドームや、岩に張り付いた民家が目を引きます。一年を通して天候にも恵まれ、信じられないほどの青い海、夏の光の季節を長く過ごすことができます。キクラデス、ザキントス、ミコノス、神話の中に出てくるような神々や怪物のような地名。その中でもハネムーナーの楽園として人気なのがサントリーニです。カルデラ火山の絶壁に固着した家屋、そして眼下の青い海。得も言われぬ自然との一体感を感じる瞬間です。世界一美しい夕焼けと称される夕暮れ時には、蒼白いキャンバスにピンクとゴールドが塗りつぶされたフォトジェニックな絶景が広がります。 もう一つのおすすめはコルフ島です。ギリシャの中でも屈指のリゾート地、ヨーロッパでも新婚旅行や結婚記念の滞在先として人気です。ギリシャの北西端に位置し、紀元前からベネチア、その後フランスやイギリスなどに支配された要塞の島。最高級のホテルを擁し、ワイン試飲ツアーなどアクティビティも充実。美しい島とイオニア海のビーチはハネムーンに最高の滞在先です。ギリシャ・エクスプレスにご相談ください。 ベルギー ブルージュ イタリアのベネチアに替わる目的地として、ベルギーのブルージュもチェックをお忘れなく。運河といえばベネチアですが、ブルージュという選択肢もあります。北海につながる運河に囲まれたこの街は、保存状態の良い12.13世紀の中世のロマンチックな町並みが残っています。船で運河の美しい町並みをクルーズしましょう。 ブルージュ旧市街は世界遺産に登録されていて、屋根のない美術館と言われるように、おとぎ話のような美しい世界に浸ることができるはず。マルクト広場の鐘楼、ギルドハウス郡、ゴシック様式の建築、聖血礼拝堂。高い尖塔を持つ聖母教会には、ミケランジェロの聖母子像も見られます。運河沿いの愛の湖公園はデートスポットとしても人気です。 チョコレート、ビール、ワッフル、ムール貝など、美食の国ベルギーの食を堪能するのも訪れるべき理由の一つです。ハネムーンであればオランダやフランス、ルクセンブルクなど周辺国を贅沢に周遊する特別な旅にアレンジするのがおすすめです。ベルギー・エクスプレスがご案内します。 ヨーロッパ&セイシェルハネムーン(新婚旅行)のツアーはこちらから Mon, 22 Oct 2018 17:31:27 +0900 お腹も心もほっこり★ドイツのクリスマスマーケット http:///blog/item/11942.html http:///blog/item/11942.html 夏が終わり、そろそろ冬の旅行をお考えの方も多いのではないでしょうか。 ヨーロッパの冬と言えば、クリスマスマーケット。日本でも近年あちこちでクリスマスマーケットが開催されていますが、今日は本場ドイツのクリスマスマーケットについてご紹介します。 ドイツのクリスマスマーケットと言えば、「世界一有名なニュルンベルク」、「世界最大のシュトゥットガルト」、「世界最古のドレスデン」が3大クリスマスマーケットとして知られていますが、どの町にもその町のクリスマスマーケットがあり、大小合わせるとなんと2500以上ものクリスマスマーケットがドイツ中で開催されます。 規模も雰囲気も様々ですが、どこのクリスマスマーケットでも売られている定番食べ物は大体同じです。 ドイツのクリスマスマーケットで是非試してみたい定番の飲み物/食べ物とは ドイツのクリスマスマーケットに欠かせない飲み物といえば、グリューワイン(Glühwein / グリューヴァイン)。 赤ワインにオレンジの皮やシナモンなどの香辛料、シロップなどを加えて温めたホットワインです。 寒いドイツの冬に、体の中から温まるグリューワインは、クリスマスマーケットでは是非試して頂きたい一品。 この独特なスパイスや赤ワインが苦手という方には、白ワインのグリューワインもお勧め♪ グリューワインといえば赤が主流ですが、最近は白ワインのグリューワインを扱っているお店もちらほら見かけます。こちらはシナモンが入ってなく、赤ワインよりクセがなく飲みやすいです。 また、アルコールが苦手な方もご安心を。ノンアルコールのキンダープンシュ(Kinderpunsch)や、ホットココア(heiße Schokolade / ハイセ ショコラーデ)なども、体を温めてくれるクリスマスマーケットの定番飲み物です。 グリューワインのカップはデポジット制なので、カップを戻す際にはお金をもらうのを忘れずに! カップは持ち帰ることもでき、場所や年によってオリジナルなので、お土産にもいいですね。 日本に帰ってもグリューワインを楽しみたい方には、グリューワイン用のスパイスもお勧めです。ティーバックになっているものなどもあり、温めたワインに入れるだけ。簡単で持ち運びにも便利なので、お土産にいかかでしょうか。(こちらはスーパーなどで購入できます。) こちらはドイツのお祭りやクリスマスマーケットでよく見かけるソーセージの巨大グリルプレート。 上から釣り下げられた鉄板の上で様々な種類のソーセージが焼かれています。 ドイツと言えばソーセージ。種類も豊富です。 ブラートヴルスト(Bratwurst)は最もメジャーな焼きソーセージ。鉄板の上で焼いたソーセージをパンにはさんで食べるのがドイツ流です。 ニュルンベルガー(Nürnberger Rostbratwurst)はニュルンベルク名物の小さなサイズの焼きソーセージ。ハーブやスパイスの香りと、ぎゅっと凝縮されたような旨みがたまりません。パンには数本のニュルンベルガーを挟んでくれます。 スパイスのきいたパリッと歯ごたえのあるKrakauer(クラカウワー)もドイツ人に人気の定番ソーセージです。 また、カリーヴルスト(Currywurst)はケチャップベースのソースがかかったソーセージにカレー粉をかけたもの。ベルリンが発祥ですが、ドイツ中で人気の定番です。 ドイツのクリスマスマーケットで是非自分のお気に入りソーセージを見つけてみてくださいね。 最後に、ドイツのクリスマスマーケットで人気のスイーツをご紹介します。 クリスマススイーツの王道、レープクーヘンやシュトレン以外にも、作り立てが美味しいあったかスイーツが沢山ありますよ♪ 焼きアーモンド Gebrannte Mandeln  クリスマスマーケットを歩いていると、甘~い香りが漂ってきます。 この甘くて香ばしい香りの正体は、焼いたアーモンド「Gebrannte Mandeln」。  カラメルのように焦がしたお砂糖がかかっているアーモンドで、クリスマスマーケットに限らず、ドイツのイベントやお祭りで人気のスイーツです。 焼き立ての温かい焼きアーモンドはとても香ばしくて格別に美味しく、ついつい食べ過ぎるので要注意です!  ダンプフヌーデルDampfnudel  まるで中華まんのような見た目のダンプフヌーデルは、クリスマスマーケットの定番スイーツ。 白くてふわふわした蒸しパンに、温かいバニラソースやケシの実をかけていただきます。 このダンプフヌーデル、スキー場などでよく見かける寒い日に定番のスイーツです。 ライべクーヘン Reibekuchen  ライベクーヘンは、クリスマスマーケットや祭りの屋台など、ドイツのイベントごとには欠かせない定番の食べ物です。  ライベン(Reiben)は擦る、という意味。その名の通り、ポテトを粗めにすりおろして揚げたじゃがいものクーヘン(ケーキ)です。スイーツではありませんが、リンゴのピュレーと合わせて食べるのがドイツ式。 クレープ Crepes クレープも、クリスマスマーケットやイベントごとには欠かせない定番スイーツ。 様々なトッピングがありますが、やはり一番人気はヌテラ(ヘーゼルナッツチョコレートクリーム)。ドイツ人は本当にヌテラ大好きなんですよね~。 如何でしたか?ドイツのクリスマスマーケットでお腹も心もほっこりしてみては如何でしょうか。 クリスマス関連ツアーはこちら ドイツで過ごす☆伝統のクリスマス Tue, 09 Oct 2018 00:00:00 +0900 2018年~2020年はフランドル絵画年!ベルギーでアートに触れる 2019年&2020年 http:///blog/item/11839.html http:///blog/item/11839.html 2018年~2020年はフランドル絵画年。 ベルギー・フランダース地方の各地で様々なイベントが開催されます。 また、絵画年に合わせて作品の修復作業も行われており、作業が完了した暁には非常に良い状態の絵画をご覧頂けるようになります。 ベルギー・フランダース地方が絵画で盛り上がる3年間。この貴重な機会に、ベルギーを旅しませんか? 2019年のテーマは「ブリューゲル没後450年」 農民の生活を題材にした作品が多いことから“農民画家”とも呼ばれるブリューゲル(父)に焦点を当てる特別年です。 彼が晩年に暮らしたブリュッセルを中心にイベントが開催されます。 『バベルの塔』や『雪中の狩人』など、彼の著名な作品の多くがブリュッセルで生まれました。 ブリューゲルの作品はオーストリア・ウィーンの美術史美術館などにも多く収められていますが、彼が活躍したベルギーの地で作品を鑑賞すれば感動もひとしおです。 (※ブリューゲルの『バベルの塔』2点は、ウィーンの美術史美術館とロッテルダムのボイマンス美術館が所蔵しています。) ブリュッセル王立美術館では『ベツレヘムの戸籍調査』などの作品を鑑賞することができます。 また近くには、ブリューゲルが眠るノートルダム・ドゥ・ラ・シャペル教会があります。 ブリュッセル郊外には「ブリューゲル街道」と呼ばれる美しい街道があり、ブリューゲルが描いた景色や建物を巡ることができます。 ブリューゲル街道にあるガースベーク城からは、『穀物の収穫』に描かれた美しい風景をご覧いただけます。 2019年に開催予定の特別イベント(一部イベントのみ抜粋) ●ブリュッセルのハルの門(ベルギー王立軍事歴史博物館)にて、16世紀のブリューゲル時代のブリュッセルの風景をVR技術で体感できるイベントを開催 ●ブリュッセルのシャルル・ド・ロレーヌ宮にて、ブリューゲルの版画展 ●ブリューゲル街道のシント・アナ・ペーデ教会の中に、ビジターセンター開館 ●アントワープのマイヤー・ヴァン・デン・ベルグ美術館に、現在修復作業中のブリューゲルの作品『狂女フリート』が戻ってくる予定です。 ●ベルギー東部のボクレイク野外博物館(100年以上前のフランダース地方の農村を再現した野外博物館)にて、ブリューゲルが描いた農村の家や農民の小道具などをご覧頂ける他、「ブリューゲルの世界」という特別展が開催されます。 ※現地諸事情により内容や期間が変更、中止となる場合がございます。最新情報をお確かめください。 2020年のテーマは「ファン・エイク年」 初期フランドル派の画家として知られているヤン・ファン・エイクとフーベルト・ファン・エイク兄弟に焦点を当てる特別年です。 (ちなみに、この他にも弟と妹がおり、彼らも画家でした。) 最も有名なのはヤン・ファン・エイクでしょう。 バイエルン公ヨハン3世やブルゴーニュ公フィリップ3世に宮廷画家として仕えるなど、画家として非常に高い評価を得ていました。 人生後半はブルージュを拠点に活躍したため、ブルージュにはヤン・ファン・エイクの像が置かれています。 フランドル絵画の特徴の一つとして、緻密な描写が挙げられます。 ゲントの聖バーフ大聖堂にて、ヤンとフーベルトのファン・エイク兄弟が制作した祭壇画『神秘の仔羊』をじっくり鑑賞すると、その描写の細かさに驚かされることでしょう。 (『神秘の仔羊』は、フーベルトが制作依頼を受けたものの制作途中で亡くなってしまったため、ヤンが制作を引き継ぎました。) 15世紀前半にかかれたとはとても思えないほど瑞々しい色遣いにもご注目ください。 ヤン・ファン・エイクはその卓越した油彩技法によっても知られており、“油絵具を発明した人物”とも称されています。 ★『神秘の仔羊』は、2020年のファン・エイク年に向けて、現在修復作業中です。(無事、2020年までに作業が完了すると良いのですが…) 修復作業期間中でも、作業を行っていない約3分の2のパネルは聖バーフ大聖堂でご覧いただけます。 残りのパネルについては、ゲント美術館で修復作業を見学することができます。 作業が完了する前に、ぜひ貴重な修復作業の様子を見にいらしてください。 作業完了後に全てパネルがそろった状態で鑑賞できる日も待ち遠しいですね。 なお、ゲントだけではなく、ヤン・ファン・エイクが活躍したブルージュにも彼の作品は残されています。 グルーニング美術館では、ヤン・ファン・エイクの『ファン・デル・パーレの聖母子』の他、日本でも人気の画家ヒエロニムス・ボスの『最後の審判』など、初期フランドル派の傑作をご堪能いただけます。 2020年に開催予定の特別イベント(一部イベントのみ抜粋) ●ゲントの聖バーフ大聖堂の中に、ビジターセンター開館 ●ゲント美術館にて、ファン・エイクの特別展を開催 ●アントワープ王立美術館が長期改修を終えて再開館予定。アントワープ王立美術館は、ヤン・ファン・エイクの『泉の聖母』や『聖バルバラ』を所蔵しています。 ※現地諸事情により内容や期間が変更、中止となる場合がございます。最新情報をお確かめください。 Mon, 03 Sep 2018 00:00:00 +0900 2018年~2020年はフランドル絵画年!ベルギーでアートに触れる 2018年 http:///blog/item/11840.html http:///blog/item/11840.html 2018年~2020年はフランドル絵画年。 ベルギー・フランダース地方の各地で様々なイベントが開催されます。 また、絵画年に合わせて作品の修復作業も行われており、作業が完了した暁には非常に良い状態の絵画をご覧頂けるようになります。 ベルギー・フランダース地方が絵画で盛り上がる3年間。この貴重な機会に、ベルギーを旅しませんか? 2018年のテーマは「バロック都市アントワープとルーベンス」 今年は、バロックの巨匠ルーベンスと、彼のゆかりの地アントワープに焦点を当てた特別年です。 彼が活躍したアントワープにて、ルーベンスとバロック芸術に触れてみましょう。 ルーベンスは両親が一時的に滞在していたドイツで生まれましたが、子供時代に母とともに故郷アントワープへ戻り画家としての修業を始めます。 20代でイタリアへ絵画を学びに行き、30代の初めにアントワープに戻ってからは、その生涯を終えるまで、アントワープが主な活躍の場となりました。 (ルーベンスは7か国語を話す外交官でもあったため、スペインやイギリスなどヨーロッパ各国を訪れることも度々ありました。) アントワープの聖母大聖堂(ノートルダム大聖堂)では、ルーベンス作の4つの祭壇画をご覧いただけます。聖母大聖堂とルーベンスの祭壇画は『フランダースの犬』にも登場しますから、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 「ルーベンスの家」は、ルーベンスが晩年の約30年間を過ごした住居兼アトリエで、ルーベンス自身がデザインしたバロック様式の家、ルーベンス時代の家具、ルーベンスや彼の弟子などによる作品などをご覧いただけます。訪れれば、ルーベンスの時代を体感することができます。 ルーベンスの家の近くには、ルーベンスが眠る聖ヤコブ教会があります。 バロック様式の聖カロルス・ボロメウス教会は、ルーベンスがファサードのデザインに関わっており、ルーベンスの祭壇画『聖家族のエジプト逃避』もご覧いただけます。 アントワープ以外でも、ブリュッセル王立美術館やゲントの聖バーフ大聖堂などでもルーベンスの作品をご覧いただけますので、どうぞお見逃しなく! 2018年 開催中/これから開催予定の特別イベント(一部イベントのみ抜粋) ●アントワープのルーベンスの家にて、ルーベンスの帰還展が6月1日より開催中。ルーベンスの弟子だったヴァン・ダイクの作品など、素晴らしい作品がコレクションに追加されました。また、修復作業が行われていたルーベンスの自画像がコレクションに戻ってきました!世界に僅か4点しか存在しないルーベンスの自画像のうち1点をご覧いただけます。 ●アントワープのプランタン・モレトゥス印刷博物館にて、2018年9月28日~2019年1月6日にバロック本のデザイン展が開催予定。ルーベンスが関わった書籍に焦点が当てられます。 ※現地諸事情により、各イベントの内容や期間が変更、中止となる場合がございます。最新情報をお確かめください。 ★2018年には間に合いませんでしたが、改装のため2011年から休館となっているアントワープ王立美術館が、2020年に(ようやく!)再開館の予定です。世界有数のルーベンスコレクションを持つ美術館です。再開館が待ち遠しいですね。 さらに、同じく2020年には、ルーベンスの家の近くに、ルーベンス・エクスペリエンス・センターが開館予定です。体験型の施設でルーベンスに触れられる施設が予定されています。 ・・・ということで、2018年が終わっても、まだまだルーベンス熱は冷めない予感です。 Mon, 27 Aug 2018 00:00:00 +0900 ドイツの古城ホテルに泊まりませんか? http:///blog/item/11806.html http:///blog/item/11806.html ドイツにはルートヴィヒ2世のノイシュヴァンシュタイン城や、プロイセン王家のホーエンツォレルン城など有名な城がいくつもあり、多くは博物館として保存されていますが、中には現在も末裔が住んでいたり、改築してホテルになったりと色々です。 今日は、城の中でも中世に起源を持つ古城を改築した古城ホテルをご紹介します。 ユーロエクスプレスの一番のお勧めは、古城ホテル・アウフ・シェーンブルク(Auf Schoenburg)。ご宿泊された多くのお客様からご好評をいただいております。このホテルはライン川沿いの小さな街、オーバーヴェーゼルの丘の上に建ち、テラスからは絶好の眺望が楽しめる素晴らしい立地。11世紀に起源をもつ古城を改築し1957年に創業。小さいながらもとても重厚かつ優美な雰囲気です。 また、同じライン河畔に建つロマンティックホテル・シュロス・ラインフェルスはライン川クルーズの主要地点ザンクト・ゴアールからタクシーで5分という立地の良さ。13世紀に建立された要塞を改築したもの。眼下にライン川の素晴らしい眺めが期待できます。 そして、中世に巡礼地として栄えたKamp-Bornhofen(カンプ・ボルンホーフェン)。13世紀に建てられたLiebenstein城を改築したホテル・キャッスル・リーベンシュタインではアンティークの調度品に囲まれて中世の世界に浸ることができます。 Hotel Castle Liebensteinのレストラン HPから抜粋 上述の3件のホテルへの宿泊なら、リューデスハイムなどライン川沿いの可愛らしいワインの町を散策し、ライン川クルーズを楽しんだ後、古城ホテルに宿泊するというプランがいいですね♪  次に古城街道を旅する方にお勧めがこのホテル・レストラン・ブルクホルンベルク。ぶどう畑に囲まれネッカー川を見下ろす丘の上に建つ古城は、ゲーテの戯曲に登場する実在人物〈ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵〉が晩年を過ごしたそうですよ。 さらに、フランクフルトから北に50キロほど、古都マールブルクに近いスタウフェンベルグにある13世紀に建てられた城を改築したブルクホテル・シュタウフェンベルク。地下にあるRitterkeller〈騎士のレストラン〉では、様々な創作料理を楽しめます。 ちょっと北に向かいます。グリム兄弟が暮らし、多くの民話を集めた街カッセルから列車で30分。元は14世紀に建立された貴族の狩猟の館ザバブルク城。ホテル・ドルンレッシェンシュロス・ザバブルク。グリム童話の「いばら姫」の舞台となった城でラインハルトの原始林の中のにひっそりと建っています。 ※2018年4月30日をもって、ザバブルク城のホテルは経営者の変更に伴い、改装されることになりました。2018年中は改装のため宿泊いただくことはできません。 ザバブルク城からほど近いトレンデルブルクにあるトレンデルブルク城。14世紀築城です。こちらはグリム童話「塔の上のラプンツェル」の舞台となった城。城には現在も高さ40メートルの塔があり、ラプンツェルが金色に輝く長い髪を塔の上から垂らし、恋人を塔に登らせたというお話。 Schloss Trendelburg トレンデルブルク城 塔のお部屋♪ Hotel HPから抜粋 上述のザバブルク城とトレンデルブルク城は、グリム童話の世界を体感できる中世の古城ホテルとなっております。花びらを使ったベットアレンジやケーキのサービスなども手配できますので、ハネムーンにもお勧めです💜 同じくグリム童話の町ハーメルンに近いシュロスホテル・ミュンヒハウゼンをご紹介。1570年に建設が開始。美しい庭園と大きな水堀に囲まれ、現在は豪華な5つ星ホテルとしてウェルネスセンターやゴルフ場、サイクリングやカヌーなどのアクティビティも楽しめるホテルとして人気です。 Schlosshotel Muenchhausen ドイツ旅行をお考えであれば、1泊は古城ホテルに宿泊してみませんか?ユーロエクスプレスでは、お客様が必要な場所だけ、お車やガイドの手配をしております。ご興味あれば、是非ご連絡くださいね。  Wed, 01 Aug 2018 11:56:00 +0900 フランスに羊飼いの営みをたずねて http:///blog/item/11771.html http:///blog/item/11771.html 牧羊国、というと、皆さんはどこの国を思い浮かべるでしょうか?    やはりオーストラリア?イギリス?  2016年の統計によると、世界一羊を飼う国は断トツで中国。次いでオーストラリア、インドとつづき、英国が7位。日本にいたっては153位と、上位に遠くおよびません。 人類最古の職業「羊飼い」 そもそも「羊飼い」という仕事は、職業としてもっとも古いもののひとつで、約5000年前にはすでに存在していたといわれています。群れを他の動物の捕食から守り、また草を十分に食ませるために牧草地を移動するのがおもな仕事。自然にいだかれ、ときに対峙し、群れを守る知恵をもつ羊飼いは、ある種憧れの対象ですらあり、古くからさまざまな芸術作品のモチーフとして登場します。旧約聖書に登場する預言者モーゼや、フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルクも羊飼いだったとされています。     今では某家庭教師派遣会社のキャラクターですが、かのテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」は、アルプスの大自然や、夏のあいだの山小屋暮らしというものを、私たちに教えてくれました。ハイジのともだちペーターは、羊飼いならぬ「山羊飼い」でしたが、少年ながら自然をよみ、群れを率いて生業を得る、ちょっぴり頼もしい存在として描かれていたように思います。    「移牧」と「移牧祭り」 フランスはミディ・ピレネー地方やプロヴァンス地方などには、「移牧」という牧畜のスタイルが今もなお引き継がれています。ふもとの村々で飼われている羊や牛たちを、初夏の気配とともに、冷涼で新鮮な草のある高地へと移動させるのです。ここで家畜の群れは数か月を過ごし、滋養をたくわえて秋にはまた村へ下りてくるという仕組み。かつては数百から数千頭もの群れを、羊飼いと牧羊犬が何日もかけて歩いて率いたようですが、現在ではトラックでの移動が主です。それでもこの移牧の日が特別な日であることには変わりなく、今でも村々で「移牧祭りFête de la Transhumance」がにぎやかに行われています。   家畜らはこの日、村の広場や道々に集められ、とりどりの美しいベルで飾られることもあります。人々は村をあげての祭りを楽しみ、羊飼いと群れの安全を祈るのです。           犬は相棒 羊飼いがともに働く牧羊犬は、まさに彼らがが生み出したもののひとつ。命令をよく聞き分け、群れを集めたり分けたりして率い、ときに迷子になった家畜を探しにいくこともあります。   近年フランスでは、環境保護が奏功してか、絶滅したかに思われたオオカミが回帰し、家畜の群れを狙うことが珍しくなくなりました。年間10,000頭もの羊が、放牧中にオオカミの捕食にあっているとのデータもあります。それでもオオカミを保護動物とする政府に業を煮やして、羊飼いたちがデモを起こしたほど。2014年のパリのデモでは、羊飼いたちが300頭もの家畜を連れてエッフェル塔に大集結。まさに伝統の「移牧」さながらに、農業省、環境省へと、パリの町を大移動しました。 機敏さを重視して小型化していた牧羊犬も、捕食者と張り合える体躯と資質が求められ、ふたたび大型犬にシフトしつつあるようです。ピレネー犬(グレートピレニーズ)は大型の牧羊犬の代表格。地元ピレネー地方ではパトゥPatouと呼ばれ、親しまれています。 ルルドからほど近い、アルジュレス・ガゾストArgelès-Gazostの村は、「ピレネー犬祭りLa Fête des Chiens des Pyrénées」が行われることで知られ、フランスのみならず世界中のピレネー犬愛好家が集まります。今年の開催は9月15~16日。牧羊犬としてのさまざまなデモンストレーションが見られるほか、400頭ものピレネー犬を集めてのコンクールも行われます。羊飼いと牧羊犬の仕事にふれる、またとない機会だと思いませんか?   羊飼いがつくった道 フランス中央山塊Massif centralの南、セヴェンヌ地方、コース地方には、そんな羊飼いたちが生み出した景色が残っています。彼らが高原に羊を連れていく営みが、千年をこえる歴史のなかで「道」をつくり、景観を成し、自然と共存する農牧業のスタイルが生まれました。   この地が発祥の「ロックフォールチーズ」も、まさに羊飼いが風雨をよけるために、自然の洞窟を利用していたことに由来します。この洞窟に存在していたカビが、チーズに豊かな風味と芳香をもたらすことを、羊飼いが日々の仕事のなかで発見したのです。その美味しさでたちまち評判となったこのチーズは、15世紀にはすでに、当時の王によって独占的製造が許され、その品質を守るための法律まで制定されたといわれています。今でもAOC(原産地認証統制)によって管理され、「ロックフォール」を名のるチーズは、かならずロックフォール・シュル・スールゾン村(Roquefort-sur-Soulzon)の洞窟で熟成されることになっています。 「チーズの王様」ロックフォールチーズ(上)とロックフォール村(下) こういった自然と人との相関関係は、「コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観」というタイトルで、ユネスコの世界遺産にも登録されました。もともと二つの国立公園を抱え、東京都の1.5倍以上の面積の自然を保護しているエリアですが、エコツーリズムに注力していることでも定評があります。家畜の世話、チーズ作り、星降る山小屋での一夜……人間が古くから積み重ねてきた、何でもない暮らしを追体験することができます。月並みな言い方ですが、物や情報におぼれている現代人にとって、本質にふれる数日間になるのではないでしょうか。   フランスに、多くの歴史的建造物を訪ねるのもよいですが、こういった場所に自然の景観や、伝統の暮らしを訪ねるのも、大いにおすすめしたいところです。最古の職業といわれる「羊飼い」の日々に思いをはせ、フランスの大地を見渡してみませんか?人間の営みのゆりかごとなった風景がそこに広がっています。 セヴェンヌ地方の山々(上)放牧の風景(下) Mon, 23 Jul 2018 00:00:00 +0900 ベルギー・ブリュッセルのフラワーカーペットの歩み http:///blog/item/11767.html http:///blog/item/11767.html 2年に1度、8月に行われるベルギー・ブリュッセルのフラワーカーペットをご紹介いたします。   2018年は、ブリュッセルのフラワーカーペット第21回目の開催となります。   今年のテーマは、豊かな文化と花の伝統を持つ、メキシコのグアナフアトという都市です。   2018年は、ブリュッセルのグランプラスがユネスコの世界遺産に登録されてから20周年となる年にもなり、証券取引所のある、Place de Bourceでも花の催し物がご覧いただけます。   今年も色とりどりの美しい花の絨毯をお楽しみいただけることでしょう!     グランプラスのフラワーカーペットの大きさは、長さ75m、幅24m、総面積1,800㎡。   カーペットの模様は、計60万本以上のベゴニアの花で造られます。 1㎡当たりの花の数は300本前後。   途方もない作業のように思えますが、100人ほどのボランティアによって約4時間で造り上げられます。   市庁舎のバルコニーからカーペット全体を眺めると、その美しさにため息が出るほど。     当初は不定期に開催されていましたが、1986年からは2年ごとに定期的に開催されるようになりました。   記念すべき最初のフラワーカーペットがお披露目されたのは、1971年。   1970年のある晴れた日、ブリュッセル市会議員のDe Rons氏とVan Den Heuvel氏は、ブリュッセル西部の町・オウデナールデのグランプラスで、綺麗な花のカーペットを見かけました。 これを見た彼らは、ブリュッセルでも同じことをすべきだ!と思い立ちます。   そして、翌1971年8月15日の週末、ブリュッセルのグランプラスに、装飾をモチーフにした、新鮮で明るい、最初のフラワーカーペットが登場したのでした。   その5年後、1976年には第2回目のフラワーカーペットが開催されました。 第2回のテーマは「風景・公園・庭園の年」で、第1回のフラワーカーペットとよく似たデザインのものでした。   第3回目のフラワーカーペットは1979年に開催されました。 1979年は、979年にブリュッセルが創設されてからちょうど1000年という記念の年でしたので、ブリュッセルの守護聖人・大天使ミカエルを表したフラワーカーペットが造られました。   第4回フラワーカーペットは1980年の開催でしたので、2年続けてブリュッセルのグランプラスが花で彩られたことになります。 1980年はベルギー建国150周年という記念の年でしたので、「団結は力なり」という国の標語の下、ベルギーのライオンの国章をモチーフにしたフラワーカーペットが造られました。   1986年は転換の年でした。 それまで不定期にしか開催されていなかったフラワーカーペットが、この年以降、2年ごとに定期的に開催されるようになったのです。   ブリュッセル市の主導により、(かつて存在し、ブリュッセルが属していた)ブラバント州や、ブリュッセルの貿易協会と協力して、「ブリュッセル・フラワーカーペット」協会が設立されました。 そして、ブリュッセル・フラワーカーペット協会は、新しく規則を定めます。   その規則とは… ・イベントは、隔年の8月15日の週末に3~4日かけて開催すること ・イベントは、音と光のショーや花火、ジャズコンサート、その他の伝統的な民俗芸能によって、より良いものにすることができること です。     1986年の第5回フラワーカーペットのテーマは「ブリュッセル市の紋章」でした。 そのため、再びブリュッセルの守護聖人である大天使ミカエルが勇敢にも悪魔を踏みつけている様子がモチーフとなり、種や葉っぱを用いて造られました。   ブリュッセルで行われる一大イベントなだけあって、大天使ミカエルがよく登場しますね!   第9回、1994年のフラワーカーペットは、ブリュッセル解放50周年がテーマでした。 第二次世界大戦中、ドイツに占領されたベルギーを開放したのがイギリスでした。 カーペットには3つの噴水が設置され、着色水がジェット噴射される仕掛けになっていました。   そして、この年に初めて、子ども用の可愛らしい小さなカーペットが2つ造られました。 この最初のミニフラワーカーペットは、ディズニーの『おしゃれキャット』から2つのシーンが選ばれ、ブリュッセル公園に描かれました。   1996年、第10回フラワーカーペットは、フランドル・ルネッサンス様式にインスピレーションを受けて、とにかく目と心を楽しませることを目的に造られました。 少し堅苦しいくらい整った構成になっており、植物、紋章、幾何学模様からインスピレーションを受けた装飾が施されました。 この年も、子ども用のミニフラワーカーペットがブリュッセル公園に造られました。   1998年、第11回目のフラワーカーペットは、トルコで生活している半遊牧民の絨毯にある幾何学的な模様からインスピレーションを受けて造られました。縦に2列あり、2種類の模様が交互に並べられました。 この年の子ども用のミニフラワーカーペットは、カンブルの森に移動し、ミッキーマウスが描かれました。   第12回、2000年開催のフラワーカーペットでは、デザイナーがStautmans氏からSchautteet氏へと引き継がれ、これまでとは違った完全にオリジナルのデザインが考案されました。 そのデザインとは、「ブリュッセル製レースのテーブルランナーが敷かれたとても古いテーブル」でした。 儚くも生き生きとしたベゴニアの花で、木の質感と繊細に織られたレースを表現するのがどんなに難しかったことか!   第13回、2002年のフラワーカーペットは、フランス・ヴェルサイユ宮殿の庭園からアイディアを得ています。 円、曲線、渦巻き模様などをモチーフとしており、低木も置かれました。 2000年、2002年のフラワーカーペットでは、数千人もの人々がフラワーカーペットを見に集まったそうです。   第14回、2004年のフラワーカーペットはアールヌーヴォーがテーマでした。 有機的な曲線を用いた壮大な花のステンドグラスが造られました。 ベルギーはアールヌーヴォー建築発祥の地で、今でも多くの建物が残っています。   第15回、2006年は、風車のような形をした9つの花飾りが設置され、対称的でバランスの取れたフラワーカーペットに軽やかさが加わった作品となりました。   第16回、2008年のフラワーカーペットは、18世紀のフランスのタペストリーからインスピレーションを得て造られました。その頃(17世紀末)には、ブリュッセルはフランス軍ルイ14世の攻撃を受け、5,000棟もの建物が破壊されるという事件がありましたので、ブリュッセル市民にとってはいい感情はないのでは?という気もしますが、それとこれとは話が別だということのようです。   また、この年から、「音と光のショー」が開催されるようになり、期間中は毎晩フラワーカーペットが華々しくライトアップされるようになりました。   第17回、2010年は、ベルギーがEUの議長国となったことを記念して、中央に置かれた噴水の周りにEUのロゴが表されました。 大きな噴水の周りに、EUの旗を思い起こさせる、小さな12個の噴水が造られました。   第18回、2012年はアフリカがテーマ!エチオピア、コンゴ、ナイジェリア、ボツワナ、カメルーンの各民族がフュージョンされたデザインに、人々は遠いアフリカの地を想像させられます。   第19回、2014年は、ベルギーのトルコ移民受け入れ50周年を祝うフラワーカーペットが製作されました。 トルコ伝統の織物「キリム」の幾何学的なデザインが取り入れられました。   そして、第20回、2016年のフラワーカーペットは、『日本』がテーマでした。   ベルギーと日本からの園芸師とボランティアの美しい和柄が再現されて鮮やかな「花鳥風月」をテーマにした花の絨毯がグランプラスに敷かれました。     このように毎回楽しませてくれる、フラワーカーペット!今年のフラワーカーペットもどのような完成になるのかとても楽しみですね! テーマが変わるので、それも楽しみの一つです! 2年に1度、4日間のみの開催となる貴重なフラワーカーペットを見に、ぜひブリュッセルへ足を運んでみてはいかがでしょうか?   *グランプラスのフラワーカーペット:2018年8月16日(木)~19日(日) <ベルギーのツアーはこちら> 前泊・延泊・他の都市への観光などツアー前後のアレンジも承ります。 お気軽にご相談ください。   Mon, 16 Jul 2018 00:00:00 +0900 競馬大国フランス ~上流貴族のたしなみとしての競馬~ http:///blog/item/11748.html http:///blog/item/11748.html 毎年10月第1週目の日曜日には「凱旋門賞」が開催されています。 ヨーロッパ最大かつ、国際的に有名なG1競走です。 今年の日本馬の活躍は如何に! 今年は2年間の改修工事を経て、パリ16区ブーローニュの森の中にあるロンシャン競馬場へ戻ります! 日本で競馬というと、ギャンブルのイメージだけが先行している部分も多くありますが、 フランスないしヨーロッパにおける「競馬」のイメージはずいぶんとかけ離れたものになっています。 〇フランス競馬の歴史 時は18世紀、マリーアントワネットがルイ16世におねだりをして、パリ近郊の野原で競馬をしたところから。 その後ヴァンセンヌ(パリ南東部)で競馬が開催されたそうです。 その後、ノルマンディー地方のドーヴィルに競馬場が設立されました。避暑地として有名で、今でも高級リゾート地にあたる街は富裕層が集う社交場としての役割も果たしました。 すなわちヨーロッパでは王侯貴族のたしなみとして競馬は認識されています。 現在日本で導入されている掛け金に対してオッズが決まるパリミュチュエル方式もフランスで始まったそう。 マリーアントワネットは近代競馬の母!? 〇名馬の産地としてのフランス フランスは名馬の産地としても有名。とりわけ西側に当たるノルマンディー、アンジュー、 ブルターニュそしてボルドーで有名なアキテーヌ地方には多くの競馬場が存在しており、競馬のみならず乗馬の人気もあり、馬術競技も盛んに行われてます。 ヴェルサイユ宮殿やモンサンミッシェルで乗馬をしながら街歩きなどのアクティヴィティも人気です! ヴェルサイユ宮殿の庭園散策をされる皆様 〇凱旋門賞の楽しみ方 名馬の活躍やもちろん掛け金が増えるという楽しみもありますが、貴族の趣味であるこの競技の楽しみはなんといっても美しい帽子を被って観戦を楽しみにくる女性たちの姿です。 唯一無二のデザイナーが作り上げたオートクチュールの帽子は見るものをくぎ付けにすること間違いなし。もちろん美しい帽子をご用意していただいて、観戦に行くことも可能です。 おしゃれをして競馬場に 世界一の競馬賞をシャンパン片手に観戦する。これぞ凱旋門賞の醍醐味です。ぜひロンシャン競馬場へ足を運んでみてはいかがでしょうか? ツアーはこちら☆彡 **2018年凱旋門賞** 2018年10月7日(日) ロンシャン競馬場 2 Route des Tribunes, 75016 Paris, フランス Thu, 28 Jun 2018 10:01:35 +0900 気軽に楽しむパリのガストロノミー③ http:///blog/item/11673.html http:///blog/item/11673.html 前回の続き  〇クレップリ― ブロセリアンド(Crêperie Brocéliande) フランス料理というと身なりのきちんとしたギャルソンの給仕が付き、アペリティフ、前菜、主菜、デザートにワインといったコースメニューのイメージが強いかもしれませんが、クレープだってれっきとしたフランスを代表するフランス料理です。 フランスではそば粉を使ったクレープ生地にハムや卵、チーズなどを乗せたメイン料理をガレット、普通の小麦粉生地を使いフルーツやチョコレート等を入れたデザートをクレープといいますが、近年では日本でもフランス風のガレットもかなりメジャーになってきたようです。 クレープはブルターニュ地方の名物でパリではブルターニュからの列車が到着するモンパルナス駅周辺に多くのクレープ屋がありますが、今回はモンマルトルの丘の中腹にあり、観光の途中に寄れるブルターニュ出身のオーナーが経営するクレープ屋をご紹介したいとおもいます。 【クレップリ― ブロセリアンド(Crêperie Brocéliande)】 ピカソやモディリアニ、マチス、ルノワール等数々の芸術家達が集ったモンマルトルの丘の頂上に聳えるサクレクール寺院に上るケーブルカー乗り場の近くに小さな戸口のクレープ屋があります。 ジュテームの壁のある地下鉄12番線のアベス(abbesses)駅付近のトロワ・フレール通り沿い、駅から徒歩5分かからない場所ですが、周辺にもレストランがたくさんあり見落としやすいので注意して探してみてください。 狭い戸口を入ると石造りの壁にアンティーク調の家具、ギンガムチェックのテーブルクロスがどこか素朴で家庭的な雰囲気の小さな店内となっており、ブルターニュの田舎を感じさせてくれます。 普通のガレット、トラディショナルガレット、店のスペシャルガレット、デザートクレープといったカテゴリーに加えお得なランチセットと通常セットもあり、人気店にもかかわらず普通のクレープ屋と同様のお手頃な価格で注文でき、英語メニューもあります。 【フォアグラと鴨のクレープ】 本場のブルターニュ人の下をもうならせる程よい焼き加減の絶品のガレットの味はもちろんのことボリュームも満点。 ブルターニュ名物の炭酸入りのリンゴのお酒シードルと一緒にお召し上がりください。 【ブルターニュ名物シードル】 デザートにはやはりブルターニュ特産の塩バターキャラメル(caramel beurre salé)のクレープをどうぞ。 【塩バターキャラメルクレープ】 お酒が好きな方にはカルヴァドスやグランマルニエをフランベしたクレープはいかがでしょうか? ここもやはり人気店ですので開店に合わせて行くか予約をしていった方がいいでしょう。 ※おまけ:オ・ルヴァン・ダンタン(Au Levin d'Antan) パリでは毎年バゲットコンクールというパリで一番のバゲットを決めるコンテストがあります。 そして優勝したパン屋は365日フランスの大統領府、シャンゼリゼ通りにあるエリゼ宮に1年間バゲットを届ける栄誉を得ることができるパリのパン屋憧れの賞です。 アベス駅のすぐ近くに青い屋根が目印の小さなパン屋でいつも混雑している人気のパン屋があります。 このパン屋が「オ・ルヴァン・ダンタン」で2011年のバゲットコンクールで見事優勝しており、その味はお墨付きです。 また同じ通り沿いでアベス駅からやや西よりへ歩いたところにもル・グルニエ・ア・パン・アベス(Le Grenier à Pain Abbesses)という2010年度、2015年度の2回優勝した名店もあります。 パリで是非本場のバゲットをと考えている方はクレープ屋ついでにここに寄ってみてはいかがでしょうか? フランスのパン屋は通常パティスリーも兼ねているので、スウィーツ好きにもお勧めです。 3回にわたっていくつかのレストランをご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? パラスホテルや三ッ星シェフの高級レストランからクレープレストランのような大衆的な食堂までフランス料理と言っても様々です。 もちろんミシュランで星を勝ち取っているレストランでは味はもちろんのこと見た目からコース構成、レストランの内装や食器まで考え抜かれ洗練されたサービスを受けることができますが、一方で一般的なフランス人の大多数が楽しむ庶民的なレストランで出される料理もまたフランス料理です。 ミシュランはあくまで限られた一部のレストランを審査しているのであり、審査を受けていない大多数のレストランの中に思わぬ美食が眠っているかもしれません。 そしてそこで思いもよらぬ一皿との出会いが待っているかもしれません。 今回いくつかレストランを紹介させて頂きましたが、是非あなた自身で自分だけの特別なレストランやビストロ、カフェ等を探してみてはいかがでしょうか。 ただサービスはフランス式なので、お店や店員さんの気分によってはちょっと待たされたり冷たくされたりすることもあるかもしれませんが、そこは「自由」の国なので大目に見てくださいね。 Mon, 25 Jun 2018 00:00:00 +0900 気軽に楽しむパリのガストロノミー② http:///blog/item/11672.html http:///blog/item/11672.html ~前回の続き~ 〇レ・ファーブル・ドゥ・ラ・フォンテーヌ(Les fables de la fontaine)  せっかくパリに来たのだから星付きのレストランで食事をしたいと思っている方もいらっしゃるでしょう。 料理界の巨匠と呼ばれるシェフたち、ポール・ボキューズやジョエル・ロブション、アラン・デュカス、アンヌ・ソフィー・ピック、フレデリック・アントンといった名だたるシェフのレストランで食事をしようと思っても予約は一杯、当然のことながらドレスコードがあり、かなりの金額になります。 それでもやはり洗練された本場のフレンチを経験してみたいと考えている方にご紹介させていただくのが「レ・ファーブル・ドゥ・ラ・フォンテーヌ」です。 このレストランはエッフェル塔の前に広がるシャン・ド・マルス公園中央の噴水からやや東、賑やかでハイセンスなサン・ドミニク通り沿いのラ・フォンテーヌ・ドゥ・マルスという19世紀初頭に建てられたモニュメントを囲む一角にあります。 モニュメントを挟んだ向かい側にはモニュメントと同名で、紅白の庇のある老舗ビストロ「ラ・フォンテーヌ・ドゥ・マルス」がありますが、近年では2009年にオバマ夫妻がプライベートで訪れたことで有名です。 【ラ・フォンテーヌ・ドゥ・マルス】 この通りのシャン・ドゥ・マルス公園側の一角は別名コンスタン通りと呼ばれており、通り沿いにクリスティアン・コンスタンというフランスの著名なシェフのレストランがかつては4店舗、現在では3店舗並んでいることに由来しています。 クリスティアン・コンスタン氏は日本ではあまり知られていませんが、フランスではテレビ出演のほか数多くのメディアに取り上げられ、その名が広く知られている一流シェフの一人です。  レ・ファーブル・ドゥ・ラ・フォンテーヌは4店舗あったコンスタン氏のレストランの一つで、彼の信頼厚い弟子の料理人ダヴィッド・ボトローが譲り受けて独立したレストランです。 ボトロー氏はすぐに信頼に応え、店を譲りうけてわずか6か月後にはミシュランの一つ星を獲得し、その後10年以上星を守り続けました。 今年度残念ながらついに星を失ってしまいましたが、10年以上星を守り抜いたことからその料理のクオリティは高さがうかがい知れることでしょう。  ディナーでは75€の6品からなるコース料理がありますが、ランチタイムにはアントレ+メインのセットメニューが28€というお手頃価格で本格フレンチを堪能することができます。 地中海や大西洋が育んだ海産物を厳選し、洗練された盛り付けと繊細な味付けでバランスよく丁寧に仕上げた料理にきっと満足いただけることでしょう。 比較的カジュアルな雰囲気のレストランですのでドレスコードもそれほど気にせず、肩肘張らずに行くことができるはずです。 ここでは一例としてこのレストランをご紹介させて頂きましたが、一つ星のレストランでしたら平日のランチタイムでは比較的リーズナブルに本格フレンチを楽しめる場所も多々ありますので、ご自身で調べたりあるいはホテルスタッフに尋ねたりしてお宿近くの一つ星レストランへくりだしてみてはいかがでしょうか? パリの素敵な思い出が一つ増えるかもしれませんよ。 〇ル・スフレ(Le soufflé) パリの中心1区、地下鉄1番線コンコルド駅近くで、高級ブティックが立ち並ぶ瀟洒なサントノーレ通りから一本入った静かで落ち着いたモン・タボール通りという路地にひっそりと店を構える、まさにその名の通りスフレ専門レストランです。 スフレというとカフェまたはパティスリーを想像されるかもしれませんが、ここはランチもディナーもとれるれっきとしたレストランです。 スフレ(Soufflé)とはフランス語で「吹いた」という意味で、しっかりと泡立てたメレンゲの気泡をオーブンで焼いて膨らませることから来ています。 フランスではデザートはもちろんのこと、チーズやハム、魚介、キノコ等を入れたメインや前菜であったりスフレ料理にも様々です。 当然このレストランではアントレ、メイン、デザート全てにスフレのメニューがあります。 アントレ、メイン、デザートをそれぞれ数種類の中から選ぶ方式の37€や46€のセットメニューがありますが、セットを注文する場合は一旦ご自身のお腹の具合と相談してみてください。 といいいますのもここのスフレはとにかくボリュームがあります。 大きめの器から大きく膨らんではみ出し、柔らかく焼きあがった生地を開いてみると中にはたっぷりのふわふわソースと具が詰まっています。 もちろん専門店ならではのそのスフレの味は格別です。 さらにはデザートスフレも基本のチョコレートやバニラ以外にもアルコール入りやフルーツ、ルバーブのスフレなど種類も豊富。 ただベシャメルソースなどのホワイトソースがベースとなっていますので見た目よりもずっとカロリーがあり、思っている以上にお腹が膨れることをご留意ください。 デザートがお腹いっぱいで食べられないなんてことのないように気を付けてくださいね。 ですのでお一人でしたらメインとデザートのみ、お二人でしたらアントレ、メインを一品ずつ頼んでシェアしたりするのがいいのではないでしょうか。 いくら専門店だからといって相当のスフレ好きでない限りは間違っても一人でアントレ、メイン、デザートすべてスフレ尽くしで頼まないように!! 料理の質、量もさることながら好立地ということも相まってやはり人気のレストランですので事前に予約を入れていった方が無難です。 ~次回に続く~ Mon, 11 Jun 2018 00:00:00 +0900 気軽に楽しむパリのガストロノミー① http:///blog/item/11670.html http:///blog/item/11670.html 毎年自国の人口を遥かに超える8000万人以上の外国人が訪れる、誰もが認める世界一の観光大国フランス。 政府の発表によれば2017年の訪仏外国人の人数は8800万人~8900万人に達し2015年の記録を塗り替えたそうです。 日本でも2017年の訪日外国人数は一昨年よりも500万人近く増大し、約2870万人に達しましたが、まだまだ遠く及びませんね。 これほどまでに多くの観光客を引き寄せるフランスの魅力として、歴史的な文化財や芸術、ファッション等様々な要因が挙げられますが、その一つとしてフランスの美食も挙げることができるでしょう。 日本食は2013年に無形文化遺産としてユネスコに登録されましたが、フランス料理は2010年にユネスコに登録されており、世界三大美食の一つとして広く知られています。 フランス観光をする上でフランス料理というのはやはり欠かせない要素の一つといっても過言ではないでしょう。 一方で日本人にとってフレンチレストランというと高額で敷居が高いイメージを持たれがちで、なかなか足を踏み入れる勇気が出ない方も少なからずいらっしゃるかもしれません。 ですが、日本に高級料亭から蕎麦屋、お好み焼き屋、定食屋といった大衆食堂まで幅広くあるように、フレンチレストランと言っても様々で、実際に現地のフランス人もそんな敷居の高いレストランに行くことは稀です。 今回はカジュアルに訪れられるパリのフレンチレストランをいくつかピックアップしてご紹介していきたいと思います。 〇ブイヨン・シャルティエ(BOUILLON CHARTiER) 【大通りから入った路地の奥のエントランス】 パリ9区にある1896年にシャルティエ兄弟によって創業された歴史ある大衆レストランで120年以上経った今でもそのメニューはほぼ同じです。 パリジャンのみならず地方のフランス人や外国人、日本人にさえその名は知られている有名レストランなので、既にご存知の方も多いかもしれませんが、やはり格安レストランといえばここは外せないでしょう。 メトロ8番線、9番線が通るグランブールヴァール駅(Grands Boulevards)から徒歩1分かかりませんが、少し路地に入ったところにメインエントランスがあるので少しわかりずらいかもしれません。 予約不可の為、ランチとディナーの時間帯になると平日でも大勢の人が列をなし、日によっては通りまで人が並びます。 ですのでここで食事を考えている方は少し早めに行くのがベターでしょう。 フランスでは珍しくランチからディナーまで休まず営業しているので時間帯を外すのもいいかもしれません。 黒のベストに前掛けというまさにパリのギャルソンといった格好の店員に案内されて店内に入るとベルエポックと呼ばれた19世紀末から20世紀前半のアールヌーボー建築をそのまま残しています。 当時の駅構内を彷彿させるような中二階席もある吹き抜けの建物は歴史文化財に指定されており、まさにベルエポック当時の料理と建物に囲まれタイムスリップしたような気分を味わえます。 【黒のベストに蝶ネクタイ、前掛けの伝統的ギャルソンスタイル】 【19世紀そのままの内装に包まれた店内】 そしてなによりこのレストランの魅力は値段の安さでしょう。 エスカルゴも7€かからず、メイン料理も10€前後で注文することができ、鴨のコンフィや子羊のリブは大変人気です。 日替わりポタージュスープにいたってはなんと1€、デザートも全て4€以下に設定されています。 そしてもう一つの特徴的なのは会計方法です。 注文をするたびに担当のウェイターが目の前の紙のテーブルクロスの上にそのまま走り書きをし、最後に会計するときもテーブルクロスで暗算で計算をして伝票を作ります。 ウェイターはテーブル担当制で、なるべく自分の担当テーブルに客を入れるために全て席は相席制となっていますので、地元の人と相席になったら思い切ってお勧めを聞いて見るのもいいかもしれませんね。 一方ウェイターたちは回転率を上げるために忙しく動き回っていますので、注文はしっかり決めてなるべく手短に済ませてあげましょう。 あくまで大衆食堂ですので高級レストランのような行き届いたービスや洗練された味や盛り付け等を求める場所ではありませんが、値段の割には味のクオリティは高く、その雰囲気を味わうだけでも十分に価値があるのではないでしょうか。 【大通りに面した看板】 ※おまけ:メディ・テラ・ネア(Medi Terra Nea) ブイヨン・シャルティエのエントランスのある通りより少し北に上がったところにある地中海料理レストラン兼タパスバー。 店名のとおり(フランス語で地中海は「メディテラネ(Méditerranée)」)全体的に地中海をイメージしており、店内は青いタイルでデコレーションされています。 ここの特徴はなんといっても回転寿司風のコンベアで皿が回っていることです。 しかし皿に乗っているのは寿司ではなくタパスという地中海風のつまみや前菜。 スペインのカフェやバーではよく見かけるタパスという小皿料理をフランス風にアレンジしたものがまるで回転寿司さながらに店内を回っています。 料金は皿毎に張り付けられたシートに書かれており、メインの暖かい料理を頼みたい場合は別のメニューから選ぶといった方式です。 回転しているのはあくまでタパスのみなので、日本の回転寿司とはやや趣向が異なりますが、ブイヨン・シャルティエが混雑して待ち時間が長そうな場合はこちらを試してみるのも面白いかもしれません。 ~次回に続く~ Mon, 28 May 2018 00:00:00 +0900 【パリの森をゆく】 http:///blog/item/11640.html http:///blog/item/11640.html   ニューヨークにセントラルパークが、ロンドンにハイドパークがあるように、パリにも大切な市民の憩いの場、巨大な緑地帯があります。それが「ブーローニュの森」と「ヴァンセンヌの森」。パリ20区をエスカルゴに例えるなら、その東西に頭としっぽのように突き出たところがそれにあたります。パーク(公園)といわずに「森」と呼ぶあたりが、なんともミステリアスで、想像をかきたてられると思いませんか? まさしく、森はさまざまなものを内包し、ときに静かに、ときに賑やかに、市民に寄り添っています。今日はそんなパリの森に分け入ってみたいと思います。 パリの森といえば……「ブーローニュ」 パリの西側、高級住宅街16区に構えるのがこのブーローニュの森。広さ約845ヘクタール、東京ドームにするとなんと180個分の広さを誇ります。その昔、修道院の領地であったこの森は、12世紀には狩猟場として貴族に買われ、百年戦争の荒れた時代には山賊のすみか、フランス革命時には逃亡者の隠れ家と、さまざまな役割を果たしてきました。 市民に開かれたのは19世紀。ナポレオン3世の肝いりで行われた一大都市計画事業「パリ改造」の時でした。イギリスに亡命中、公園の緑に心癒されたというナポレオン三世は、ロンドンのハイドパークの美しい湖や小川、そしてすべての階層の市民から愛されているその人気に、ひどく感銘を受けたのだそう。まさに「森」の整備の着想は、このハイドパークからだといわれています。 さて、森の中には何があるのでしょうか? テニスの全仏オープンの会場である、ローラン・ギャロス・スタジアム、そして凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場があるのは有名なところ。その他でも、バラ園が素晴らしいバガテル公園は、マリー・アントワネットが義弟のために美しく改造させという歴史をもっています。 森の中には、瀟洒なレストランも隠れています。なかでも、一度は訪れたいのが、湖の浮島に建つ「ル・シャレ・デ・ジルLe Chalet des Iles」。ナポレオン三世が妃ウージェニーのために建てたとされるこのシャレーは、スイスにあった実物を解体し、電車で運ばせ、再建したもの。クラシックな店内も素敵ですが、森を眺めながら水辺のテラスでとる食事は、ピクニックのようで格別です。 しかし森は、夜には別の表情を見せるのでご用心。どこからともなく現れる娼婦(夫)たちが、森を仕事場にするのです。ここに人間の欲望をも包み込む森のすがたがあります。パリっ子たちも近寄らない夜のブーローニュの森、日が暮れてからは、気軽な冒険心から訪ねることはやめたほうがよさそうですね。 お城好きの意外な穴場……ヴァンセンヌの森 東側、12区にあるのはこちら、ヴァンセンヌの森。ブーローニュよりも広いこの森は、ニューヨークのセントラル・パークの約3倍の面積。貴族の狩場だったこの森もまた、ナポレオン三世によって市民の森として開かれました。 特筆すべきは今もなお堂々たる姿を見せるヴァンセンヌ城。ルイ7世の狩猟中の休憩所として建てられた館は、歴代の王の改造により堅牢な城へと姿を変えました。52メートルもの高さを誇るドンジョン(天守閣)からは、深い森一帯を望むことができます。 質実剛健たるこの城は、外見に華やかさこそありませんが、歴代のフランス王に親しまれた城でした。この城で結婚式をあげた王、生涯を終えた王もあり、かのルイ14世が、マリー・アントワネットとのハネムーンに訪れたことでも知られています。 しかしながら諸行無常の理はフランスでも同じこと。17世紀になるとこの城は打ち捨てられ、牢獄となり果てます。有名なところでは、「サディズム」の由来となったサド侯爵(マルキ・ド・サド)もこの城に収監されていました。かれは長大な作品を主に獄中で書き上げたといわれていますから、そんなことを想像しながら訪ねるのも面白いかもしれません。 競馬場や動物園があるのはブーローニュと同様。パリ花公園Parc floral de Parisは、花々の美しさのみならず、夏の週末行われる音楽イベントでも人気です。 西のブーローニュに比して、より庶民的で親しみやすいとされるヴァンセンヌの森。パリ市民の普段着の顔が見られそうですね。 番外編……フォンテーヌブローの森 パリ・リヨン駅からトランシリアンTransilian(郊外列車)で約40分、フォンテーヌブローの森は今や知る人ぞ知る「ボルダリングの聖地」。広大な森には、自然の造形のたまものである巨石が点在し、それらがクライマーたちのチャレンジの課題となっています。その数およそ27,000!クラッシュパッド(着地時の衝撃緩和用マット)なしでもトライできるレベルの課題もあるのだそう。トライはあくまで自己責任ですが、ファンなら一見の価値がありそうです。 フォンテーヌブローについては、こちらのブログもどうぞ! Mon, 14 May 2018 00:00:00 +0900 ドイツの様々な観光鉄道 http:///blog/item/11641.html http:///blog/item/11641.html 最近日本では観光鉄道が注目されています。 高級感溢れる宿泊可能なものだったり、美味しいお食事を美しい車窓からの風景を見ながら楽しめたり…JR、私鉄を問わず、様々な趣向を凝らして集客を目指していますね。 ドイツ国内にも、そういった観光鉄道が幾つか存在します。鉄道好きな方々は是非とも参考にしてみて下さいね。 【No.1 ネロベルク登山鉄道(Nerobergbahn)】 フランクフルトの西にある、ヘッセン州の州都ヴィースバーデン(Wiesbaden)。 この町には世界でも珍しい鉄道があります。 市内から少し離れた所にあるネロベルクという山へ登る登山鉄道の動力はなんとただの水! 仕組みは簡単。上と下の車両がケーブルで繋がれており、上の車両のタンクに水を入れ、その重みで上の車両は下へ、下の車両は上へと移動。下に着いたらタンクの水を排出する。また上の車両のタンクに水を入れる。これを繰り返すだけ。 120年以上の歴史を持つ、このエコの極みの鉄道面白いですよ♪ 【No.2 モリー(Molli)】 正式名称はメクレンブルク海岸鉄道モリー。 バート・ドーベランからバルト海に面するキュールングスボルンまでを結ぶSL。 この鉄道の特徴は、町の中(バート・ドーベラン)を走るということ。 黒い煙をモクモクと出しながら、町の中を走る姿は何とも不思議な感覚。 ドイツ鉄道の駅と隣接していることから(ロストックーシュトラールズント間)アクセスも良いため、北ドイツに行かれる方には是非ともお勧めしたい鉄道です♪ 【No.3 ハルツ狭軌鉄道(Harzer Schmalspurbahn)】 ドイツ中部、ハルツ山地最高峰であるブロッケン山へ向かう登山鉄道(とはいえあまり標高は高くないですが)。 ヴェルニゲローデ、クヴェトリンブルク(ともにザクセン=アンハルト州)、ノルトハウゼン(チューリンゲン州)からこの鉄道に乗車できます。 ゲーテの「ファウスト」にも登場する魔女伝説、ブロッケン現象などで有名なこの神秘の山に登ってみるのも乙かもしれませんよ♪  【No.4 ホーエンツォレルン地方鉄道(Hohenzollerische Landesbahn)】 文字通り、ホーエンツォレルン城がある辺り(シュトゥットガルトの南)を走る鉄道。 定期的(つまり毎日)運航している路線もあれば、時期的にしか走らない路線もあります。 アイアッハ(Eyach)とヘッヒンゲン(Hechingen←ホーエンツォレルン城の最寄り駅)を結ぶ路線は夏の期間の日曜日しか運航していません。 車両は写真の通り、かなりレトロなもの。でも、自転車と一緒に乗ってかまいません。 この鉄道でハイガーロッホという美しいお城を持つ谷間の町へ行くことが出来ます(普段はバスでしか行けません)。 【No.5 ブルゲンラント鉄道(Burgenlandbahn)】 ザクセン=アンハルト州南部にブルゲンラント地方(ブルク、ブルゲン=お城)という所があります。 この辺りを走る鉄道はとってもコンパクトで可愛らしい車両です。 (ただ、利用客が少ないから大きくする必要がない?) 恐らくドイツ国内で、定期的に運航する鉄道の中でもっとも小さい車両なのではないでしょうか? 景色のいい場所を小さな車両でのんびりと移動するのもローカル電車のいいところです。癒されます♪ Mon, 07 May 2018 12:03:47 +0900 フランス花を贈る文化の人々 -パリジャンのようにフラワーアレンジメントする- http:///blog/item/11611.html http:///blog/item/11611.html 花を生活に取り入れると生活の質は変わるだろうか? 特に日本男性にとって花は縁遠いという人も多いかもしれないが、例えば西洋では古代からフラワーアレンジの起源を発し、花を贈る文化が根付いている。今回は日本とフランスの花に対する価値観の違いと、その文化を学ぶフラワーアレンジメントの旅をご紹介。 人生に花がある生活とない生活、どちらがお得? フランスではバレンタインデーに男性から女性に花束を贈る。日本では女性が男性にチョコを贈る習わしが長く続いてきたが、最近ではフラワーバレンタインと称し日本でも男性から花を贈る機運を盛り上げようと花屋業界が動き始めているそう。 花屋モンソーフルールは、1965年パリのモンソー公園近くの17区、家族経営の花屋から始まった老舗の花屋チェーン。2007年から日本にも進出していて、同店のコンセプトには「パリジャンのように花を選び、花で自分らしさを演出する」とある。 モンソー公園は筆者もフランス留学中にしばし通った公園で、芝生に寝転がって本を読む若者、ベンチで語らう老人、夕日に向かってそぞろ歩くマダム達、そんな光景が広がる8区と17区の界にある花の公園だ。 1965年当初、花を購入したのはパリ8区のブルジョワジーのみとされたが、現在では誰でも5€からと低価格で花を買うことができる。パリではこうした花屋が花の民主化に寄与したようだ。日本でもその流れが近年始まっているとすれば、実に半世紀を経てようやくその流れが変わろうとしているのかもしれない。 花を贈る機会が多いとされるフランス男子 古くから花は女性のイメージと重ねられ、文学や芸術の中で重要な役割を担って来た。星の王子様ではバラの花は愛の象徴とされ、ポスターで人気を博したミュシャのデザインにも女優サラ・ベルナールを彩る花のあしらいが多用されている。花の都パリもまたその象徴とされていた。 日本でも花好きの女性は多いが、男性が花を積極的に買い求めるフランスは日本と大きく異なる。フランス男子なら、2月14日のバレンタインデーを皮切りに大切な人にバラを贈り、5月1日(愛の日)にはお世話になっている人達にスズランを、5月最終日曜日の母の日には母親にブーケをと女性に花を贈り続ける。 純粋に大切な人を喜ばせるためか、半ば強制なのか、花を贈らなかったらどうなるかは知らないが、とにかく花の記念日になると、パリジャンは花屋に駆け込むという。こうしてフランス男子は、花を贈ることで自分の気持ちを表現することを経験的に学んでいくようだ。 春を迎え生活の中にブーケを飾るフランス 春を迎え、どんよりと重たい冬が終わりを告げると、春を待ちわびた花と緑が芽吹き始める。フランスでは冬が長く厳しいためか、春の光の到来は日本よりも遥かに嬉しく感じる。草木にとってもそれは同じで、春の光を受けた花と緑は、より鮮やかな印象を持って映る。 4月から5月のこの時期、街角に咲き誇る花とともに花屋の仕事も忙しくなる。フローリストがあしらったブーケを飾るショップ、ホテル、レストランほか、あらゆる場所の背景に美しい花の装飾を目にすることができる季節だ。 フランスの花屋はファッション業界とも関係が深く、一流フローリストとなれば作家として有名メゾンのデザイナーとコラボレーションすることもしばしば。サービス産業を中心に、各店お抱えのフローリストたちが、季節の花の癒しを住民に届けてくれる。 また一流フローリストの中には男性フローリストが数多く活躍している。日本ではまだ男性フローリストが少ないはずだから、男性が花をアレンジできることの先行者利益は小さくないかもしれない。無論、喜んで受け取ってもらえる相手が必要だが、ブーケを作って人を喜ばせることができたら素敵だと思う。 花の都パリ、本場フラワーアレンジメント体験 フランス現地では、フラワーアレンジメントの体験レッスンも数多い。日本でも女性を中心にトレンドとなっているが、新しい体験を求めて本場フランスのフラワーアレンンジメントを学ぶのはどうか。初心者からでも体験できるクラス、通訳対応のクラスもあり、有名フローリストのもとで本格的にレッスンを受けることも可能だ。 中にはフラワーアレンジメントの本場フランスでフローリストの資格を取るという夢を叶える日本人もいる。フランス国立園芸協会(SNHF)が主催するフランス、ベルギー、イタリアで共通のDAFAというフラワーアレンジメント資格試験などは、多くの人が10年くらいかけて資格を取るという。日本人でもフランスで毎年複数のフローリストからレッスンを受けて腕を磨く人もいるそうだ。 フラワーアレンジメントなら、老いも若きもいつでも始められるのがいい。これからは、パリジャンのような感性で、日本人男性だって花をアレンジしたっておかしくない。本格的なプロを目指さないまでも、フランスの地方に広がる花畑や花咲く村、美しい公園を巡るなど、花を通してヨーロッパを旅しながら、フラワーアレンジメントやガーデニング、フランスの自然を深く知る旅があっても面白そうだ。 結局、最後は心を込めた花束を贈る方が、ずっと人を幸せにすることができるはずだから。 印象派クロード・モネの「モンソー公園」 Mon, 16 Apr 2018 18:57:04 +0900 【モーゼルワイン街道をめぐる~ドイツ、フランス、ルクセンブルグ】 http:///blog/item/11573.html http:///blog/item/11573.html   皆さんは、「モーゼルワイン」と聞いたら、何を思い浮かべるでしょうか? その名の由来ともいえるモーゼル川は、ドイツ、ライン川の最大の支流にして、その源はフランス、ヴォージュ山脈。全長約560キロメートルのうち、314キロがフランス、39キロがルクセンブルグとドイツの国境、残り208キロはドイツ国内を流れる、いわば三国を股にかける国際河川です。そのくねくねと蛇行した姿は、女性らしい曲線美とも、「酔っぱらいのように」とも例えられ、古くから人々を魅了する存在でした。   大きくカーブするモーゼル川。両岸は日当たりのよいブドウ畑に ドイツ国内では、フランスとの国境の村ペルルから、ライン川に合流するコブレンツの町まで、川沿いの丘陵地帯に古くからブドウ畑が広がり、中世の町並みや古城などの風景とともに、美しい「モーゼルワイン街道」が形成されています。 この地に植えられている品種は主にリースリング。爽やかな酸味が持ち味の、はつらつとした白ワインができあがります。ドイツの他の銘醸地ラインガウのワインが、「貴婦人」に例えられるのに対し、モーゼルのワインは「山の娘」。一般に「モーゼルワイン」というと、ドイツのこの地方で造られる白ワインが想起されるのではないでしょうか。   モーゼル川を挟んでドイツと国境を接するルクセンブルグも負けてはいません。 対岸には、ドイツ同様、斜度60度はあろうかという切り立った丘陵地が広がり、ブドウ畑をなしています。栽培品種はミュラー・トゥルガウ、オーセロワ、ピノ・グリ、リースリングなどで、単一品種で造る白ワインが主体。同じモーゼル川沿いでも、ドイツモーゼルが比較的糖度を残して仕上げるのに対し、ルクセンブルグモーゼルはすっきりと辛め。日本ではまだなかなかお目にかかれませんが、何せルクセンブルグはワインの消費大国。2015年にバチカン市国にその座を奪われるまで、国民1人当たりのワイン消費量No.1だったのです。おのずと輸出量が少ない、ということなのでしょうね。   モーゼル川に架かる、ルクセンブルグとドイツを結ぶ橋 さて、モーゼル川の源流、フランスにモーゼルワインを尋ねてみましょう。 古くローマ時代からワイン製造が行われていたのは、ドイツ、ルクセンブルグと同じ。ただ、19世紀に起こった病害虫の被害や、モーゼル川流域の鉄鋼業などの産業化、また南仏ワインとの競合のなかで、この地のブドウ栽培は急激に衰退してしまいました。3万ヘクタールあったとされる栽培面積は、19世紀末には300ヘクタール余り、そして1985年には3ヘクタールまで激減。まさに風前の灯でした。 ところが昨今、鉄鋼業の斜陽とともに再び勢いを取り戻しつつあるのが、このフレンチモーゼルなのです。現在、栽培面積65ヘクタールまで回復、2010年にはフランス最北のAOC(原産地呼称)として「AOCモーゼル」が誕生しました(初ヴィンテージは2011年)。このうち、約半数がビオロジック(有機栽培)とのこと。 フランス側のモーゼルは、主に赤はピノ・ノワール、白はオーセロワとピノ・グリの品種からなっています。特筆すべきは、やはり白。一般に酸味がおだやかで、やさしい味に仕上がるとされるオーセロワですが、この地のそれは、非常に個性的で、意外性にあふれています。良い意味で、「オーセロワ」の固定概念を覆してくれる白ワインと言えそうです。   国境の町、シエルク・レ・バン。ワイン街道をなすフレンチモーゼルの産地 2012年には、ドイツとルクセンブルグの国境からつながるモーゼルワイン街道Route des vins de Moselleがフランス側に開かれ、翌年には25キロを延伸。メッスの町の周囲までつながる一大ワイン街道が完成しました。加えて2014年からは、街道沿いの町で、モーゼルワイン祭りFête des vins de Moselleが毎春開催されています。これにはドイツとルクセンブルグの醸造家も参加し、フレンチモーゼルのプロモーションのみならず、広くモーゼルワインをアピールする場となっています。   フランス、メッスMetzもモーゼル川の恵みゆたかな町 こうして、「モーゼルワイン」を巡って、三国が協同する土壌がととのいました。 世界的な評価も、知名度も、まだまだドイツモーゼルの独壇場ですが、品質の点では、ルクセンブルグもフランスも負けてはいません。「まだあまり知られていない、とっておきのワイン」を探すなら、うってつけのエリアだと思います。 それぞれの個性を確かめに、モーゼル川をフランスから下ってみるのも面白いかもしれません。せっかくなら、モーゼルワイン祭りの時期に合わせるのも一案。4月末~5月初頭にはフランス側のワイン街道の村で、6月初旬にはドイツ、コッヘルで、そして、8月末~9月初頭には同じくドイツ、ベルンカステル・クースで、にぎやかにワイン祭りが開かれます。ルクセンブルグにおいては、小さな国ながら、2月から10月まで、ほぼ毎月のようにワイン祭りが開かれています。特におすすめなのは、8月、レミッシュの町で行われる「バッカス祭りFête du Bacchus」。ブロカント(骨董市)とワイン祭りに音楽フェスをミックスさせたような、盛りだくさんのイベントです。   中世の木組みの家が立ち並ぶベルンカステル・クース。モーゼルワインの一大産地 川と土の織り成す風土と、人の営みの結晶、ワイン。モーゼル川のたゆたいを眺めながら、その土地の愛すべき一杯を味わえたらなんて素敵だろう……。これを書きながら、スタッフの思いはすでに彼方へと飛ぶのでした。 あなただけのモーゼルワイン街道の旅をつくってみませんか?ユーロエクスプレスが知恵をしぼって、お手伝いさせていただきます! Mon, 02 Apr 2018 00:00:00 +0900 ドイツ人による発明品。 http:///blog/item/11527.html http:///blog/item/11527.html 世界を変えてしまう発明品、ドイツ人もそんな素敵なものを幾つか作ってしまいました。 今現在生活をしていく中で、なしでは考えられないもの。代表的な4つの発明品をご紹介していこうと思います。 古い時代からのぞいてみましょう。 テーマは印刷技術。 時は14世紀末。フランクフルト近郊のマインツに生まれたヨハネス=グーテンベルク。 彼が発明したのは活版印刷機。技術自体はそれまでに存在していましたが、そのすべてを集約し、印刷技術が一気に向上、それによって本の出版が格段にスピーディーになりました。 ルネッサンス期の3大発明品と呼ばれています。 現在、我々が本を気軽に読めるのは、ひとえに彼のおかげなのかもしれませんね♪ 写真は生まれ故郷のマインツ。大聖堂が美しい町です。 お次はファッション部門。 おしゃれに困ったら、とりあえずこれをはいておけば問題なし、それがジーンズ。 老若男女問わず愛されていますね。 このジーンズも実はドイツ人の発明品♪ 時は1873年。リーヴァイ・ストラウス(Levi Strauss、ドイツ名レーフィー・シュトラウス)の手によるものでした。 ドイツ、バイエルン州バンベルクの近郊ブッテンハイムに生まれたユダヤ系ドイツ人の彼は、アメリカへ移住。ゴールドラッシュに沸くアメリカの地で鉱夫のために作ったワークパンツがジーンズのもとになったのです。 現代社会を生きていくうえでコンピュータのない生活なんて考えられない時代ですよね。 なんとまあ、そのコンピュータもドイツ人による発明品! 時は1941年、発明したのはコンラート・ツーゼという人でした。 自動計算機として開発された「ZUSE Z3」というタイプが現在のコンピュータの先駆けと言われています。これは現代社会においてまさしく歴史を塗り替えたものと言えますね♪ 写真はヘッセン州ヒュンフェルトのツーゼ博物館にあるプロトタイプのコンピュータ。 音楽で言えば、クラシック音楽の中心地として栄えたドイツ。 音楽のジャンルだけでなく、音楽の技術に関する発明品もあります。 通勤通学時、家でのんびりとくつろぐ時など、音楽は日々の生活には欠かせないものです。 音源の体系はわずか数十年の間で大きく変わってきましたね。レコード、カセット、CD、MD、そしてMP3。 MP3というフォーマットが完成してから、携帯性、収納性が格段に向上しました。 そして、このフォーマットもドイツ人による発明♪ 1987年、フラウンホーファー協会(研究所)によって開発されたものです。商品として世間に広まるまで長い時間がかかりましたが、この発明により、音楽の市場が大きく変わったというのは言うまでもありませんね。 ドイツは発明の国。 普段我々が何気なく使用しているものの中で、上記のものがまさかドイツで生み出されたものなんて思いもしなかったでしょう?   Mon, 19 Mar 2018 09:22:50 +0900 【フランスとSakéのマリアージュ|フランス日本酒事情】 http:///blog/item/11488.html http:///blog/item/11488.html 独自の食文化を持つ国、フランス、日本 フランスは言わずと知れた美食の国。 「フランスの美食術」という題名で、2010年、ユネスコの無形文化遺産にも登録されました。これはフランスにおける食が、生活における最も重要な時を祝うための社会的慣習であり、またそれを継承するための習慣や教育が定着していることが評価されたようです。 フランスに遅れること3年、日本の「和食」もまた同様に、無形文化遺産の仲間入り果たしました。遠く離れたふたつの国は、「食」に関して、共通する高い意識を持ち合わせていると言えそうです。   フランスにおける日本酒ブーム そんなフランスで数年前からムーヴメントを巻き起こしているのは、日本の国酒である「日本酒」。フランスではもっぱらSakéサケと呼ばれています。 しかし、これまでフランスでは、中華料理店が提供するアルコール度数の高い中国酒のことをSakéと呼んでいたため、Sakéが本来の「日本酒」として認識され始めたのは、ごく最近のこと。日本酒がフランスで正しい評価を得るには、この大いなる誤解を解くことから始めなければなりませんでした。 本来、醸造酒である日本酒は、ワイン同様、薄暗い場所で低温管理され、開栓後は早めに飲みきるのが理想。それが「Saké=蒸留酒」という誤解のせいで、ブランデーのように、開栓後何年も常温下に留め置かれるということがままありました。これではデリケートな日本酒はひとたまりもありません。   こういった事情には、正しく発信してこなかった日本側にももちろん責任があります。国酒である日本酒に対して、造る側も味わう側もあまりに無関心な時代が長く続きました。しかし、2013年、政府主導で「クールジャパン」戦略が立ち上がり、「和食」の無形文化遺産登録も追い風となって、日本酒への注目度がじわりと上昇。 おりしも国内の酒造メーカーでも世代交代が行われ、若い後継者たちによって新風が吹き込まれていました。目利きのスターシェフやソムリエが、この格段にモダンになった日本酒を自身のワインリストに載せたことも、フランスでのSakéの認知度が高まる要因となりました。 財務省の統計によると、2016年度の日本酒の輸出量は、全体で11%増、対フランスにおいてはなんと40%増を記録したといいます。 2017年は日本酒革命年! そして2017年は、フランスと日本酒の関わりにおいて、革命的な出来事が続いた年でした。 まずひとつは、史上初のフランス産日本酒の完成。2016年オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ地域圏の町ぺリューサンPélussinに開業した「昇涙酒造」が、地元の水と日本から輸入した米とで醸したものです。日本酒に魅せられて来日、酒蔵で修業を積んだGrégoire Boeufグレゴワール・ブフさんが、日本から杜氏を呼び寄せての共同作業。「フランスの水と日本の伝統技術の融合」と、胸を張る出来となったようです。   もうひとつは、南フランスはカマルグ産の米で造った日本酒「CAMARGUEに生まれて、」の発売。愛知県の萬乗醸造が、フランス固有種であるマノビManobiという米を、現地の農家の協力のもとに栽培し、日本に送って製造したものです。南仏の太陽をさんさんと浴びて育ったフランス米と、日本の水、そして技術。本数は多くなく、720ml 5000円と値段は少々はりますが、見つけたらぜひ味わってみたい一品です(かくいう私も、冷蔵庫に1本保管中です)。     カマルグの田んぼ。フランス唯一の米穀地帯 カマルグはフランス有数の湿原地。白い馬が疾駆する 2017年はまた、フランスで初めて、フランス人によるフランス人のための日本酒コンクール「Kura Master蔵マスター」が行われた年でもありました。 フランスの歴史的食文化である「料理とワインとのマリアージュ」を日本酒におきかえ、フランス市場で日本酒をアピールするために開催されたこのコンクール。厳正なるブラインドテストにより、日本からの総出品数550本の中から、上位33%が受賞しました。フランス国内のレストランやショップで、これまで以上に日本酒を目にする機会が増えそうですね。   さらなる飛躍の年に さて、明けて2018年。 5月には日本中の田んぼに水が張られ、田植えが始まります。今年はどんな米が実り、どんな酒Sakéが造られるのでしょうか。そして、昨年確かな形となったフランスと日本酒の融合が、今年はどのように進化し、表出するのか。日本酒とフランスをこよなく愛する私としても、楽しみでなりません。 おりしも今年は日仏友好160周年!7月からパリを舞台に「Japonismesジャポニズム2018」というイベントが大々的に繰り広げられます。「日本の食と文化」に関するイベントも目白押し。もちろん、日本酒を紹介する企画もありますよ。こちらについても、今後のブログで発信していきたいと思います。どうぞお楽しみに!!   Mon, 05 Mar 2018 00:00:00 +0900 3年に1度の大人気イベント!ベルギー・イーペルの猫祭りについて学ぶ その3  http:///blog/item/11474.html http:///blog/item/11474.html  3年に1度、ベルギーのイーペルという町で猫祭りが開催されます。 (猫祭りについては<こちら>のページでも詳しく紹介しています。)   今回はイーペルにとっての猫と猫投げについてご紹介します。     <中世における猫>   ヨーロッパでは黒猫は魔女の使いだと考えられていた という話を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。   中世ヨーロッパでは、多くの猫が過酷な運命をたどりました。   数多くの民俗祭で猫が犠牲になりました。生贄として猫が捧げられることが多かったのです。拷問を受け、殺された猫もたくさんいました。 このようなことは、当時の西ヨーロッパでは当たり前のように行われていたようです。   なぜ対象が猫だったのか?その理由は定かではありません。猫は魔女の仲間だとか、悪魔の使いだ、などと考えられていたことも理由の一つなのでしょう。 また、単に猫が増えすぎて困っていたため"処分"していたという説もあるようです。   <イーペルと猫投げ>   前回もご紹介したようにイーペルは繊維産業で栄えた街です。   イングランドから輸入されたウールは、いったん繊維会館に保管され、そして職人へと売られていきました。 職人の手に渡ったウールは布へと加工され、再び繊維会館に戻ってきました。 そして、年に一度の品評会(fair)の時期が来るまで、そこでずっと保管されていました。   しかし、困ったことに、ウールが大好きなネズミがやってきて、布を食べ、巣を作り、工場でたくさんのこどもを産みました。 そこでイーペルの人々がとった解決策は、お腹の空いた猫を繊維会館に放つことでした。   初めのうちは全て上手くいっているかのように思われましたが、ネズミを食べた猫もまた、たくさんのこどもを産んだのです。   イーペルの人々は、たくさんのネズミの代わりに、今度はたくさんの猫に悩まされるようになりました。   動物が増え、ペストが蔓延するのを恐れた街の人々は、猫を鐘楼から投げ落とすことにしました。 こうするよりほかに方法がなかったのです。   こうして、「猫投げ」が行われるようになりました。     <猫投げの歴史>     猫投げについて最も古い記述は、1410年~1420年のイーペルの編年史で見つけることができ、その中で、猫投げはよくキリストの昇天祭と結び付けられています。   1476年に昇天祭がレントの第二週になってからは、「灰の水曜日」ならぬ「猫の水曜日」に猫投げが行われていました。   ある編年史によると、猫は初めは聖マルティヌス聖堂から投げ落とされていましたが、1231年以降は鐘楼から落とされるようになったそうです。 しかし、別の編年史によれば、鐘楼が完成したのは1304年ということですので、真実は定かではありません。   また、街が繁栄した年には、そうでない年に比べて、投げ落とされた猫の数は少なかったそうです。 例えば1594年は街の状況が好転した年なのですが、その年にはたったの3匹しか投げ落とされなかったそうです。   最後に生きた猫が鐘楼から投げ落とされたのは、1817年のことでした。 興味深いことに、最後の最後に投げ落とされるはずだった猫は、あわてて逃げて、死を免れたそうです。   この1817年から第一次世界大戦までの間、イーペルの猫祭りでずっと変わらずに在り続けたものは、「猫の水曜日」のカリヨンの音色だけでした。     ヨーロッパにおける猫、イーペルにおける猫、猫投げについていかがでしたでしょうか? ちょっとした歴史を知っているだけでも、猫祭りはもちろん、観光もより深く楽しめます。     2018年は3年に一度の猫祭りが開催される年です。 ぜひ猫祭りに参加して、ベルギー観光を2倍楽しみましょう! <2018イーペルの猫祭りツアー一覧はこちら> 前泊・延泊・他の都市への観光などツアー前後のアレンジも承ります。 お気軽にご相談ください。 Mon, 26 Feb 2018 00:00:00 +0900 2年に一度のクラシックカーの祭典|Le Mans Classic http:///blog/item/11374.html http:///blog/item/11374.html 毎年6月はル・マン24時間耐久レースが開催され、多くのモータースポーツファンが集います。メカニックとドライビングテクニックの精鋭が結集し、年を追うごとに車は進化しています。現在ではLMP1-Hというハイブリット車が世界最高峰の車に位置し、トヨタ車が熱戦を繰り広げてきました。   そんな進化を遂げた車たち。過去の最新鋭だった車が古巣に戻り活躍をする大会こそ2年に1度開催される « Le Mans Classic(ル・マンクラシック) »なのです。   この大会は今年で9回目を迎え、2016年の前回大会では1,000人のドライバ―、およそ12万人の観客、8,500台のクラブチームの車が一堂に会する大会となりました。   ル・マンの始まりそれは、1923年にまで遡ります。日本は関東大震災に見舞われた昭和12年にフランスで産声を上げた、モーターレース。開催当初はイギリス車、ベントレーが大躍進。ここからフランス車とイギリス車の技術革新競争が始まったといわれています。この黎明期にさらに欧州車の人気者として地位を確立したのがイタリアのアルファロメオ。   こうして時代のスーパーカーと共に連綿と引き継がれてきたル・マン大会も1936年は労働者ストライキによる情勢混乱のためそして1940年から1948年までの間は世界大戦のため一時休止を余儀なくされました。   大戦後は、今日に至るまで休止となる年はなく、歴史を築き上げられています。 そして名勝負が繰り広げられた60年代が訪れる。ル・マン黄金期のフェラーリVSフォード、そしてポルシェが切り込みフランス車は復権を果たしました。   実際のレースは、ル・マン24時間耐久レースとは異なり車の年代別に6クラスに分けられて競います。     グリッド1:1923〜1939年   グリッド2:1949〜1956年   グリッド3:1957〜1961年   グリッド4:1962〜1965年   グリッド5:1966〜1971年   グリッド6:1972〜1981年     各グリッドで1時間20分のスプリントを3ラウンド行い、そのトータルでグリッドごとの優勝を決めます。1時間20分を6グリッドが走ることで8時間となり、それを3ラウンド行えば24時間。24時間夜通しで耐久レースをするものではないものの“24時間”を体感することの出来るレース構成となっています。また、バトンリレー方式のような、各グリッドの枠を超え、ゼッケンでの総合順位も表彰されます。   VIPチケットを購入の方には、フランスが誇るガストロノミーレストランの料理に舌鼓を打つことが出来、オプショナルツアーを申し込めば、ヘリコプター上空からサーキットを眺めることが出来ます。いつもとは一味違った旅へとアレンジすることも可能です。   車だけでなく、参加者たちにもドレスコードが課され、紳士淑女たちが集う大人のムード溢れる大会となっています。さあ、おしゃれをしてお出かけしましょう!   出典:http://www.lemansclassic.com/language/fr/dress-code/ 2年に一度の貴重な体験|Le Mans Classic観戦ツアー 2018 ※ホテルに限りがございますので、お問合せはお早めに! Wed, 07 Feb 2018 16:52:11 +0900 ギリシャヨットクルージングの魅力とは?-エーゲ海冒険旅行<後編> http:///blog/item/11160.html http:///blog/item/11160.html 今回はギリシャヨットクルージングツアーの後編をお届けします。アテネからイドラ島、ポロス島、エギナ島を巡る旅の2日目からです。前編は以下より。ギリシャヨットクルージングの魅力とは?-エーゲ海冒険旅行<前編> 2日目は旅情溢れるイドラ島から、北へ15㎞ほどのポロス島へ移動します。今回は距離が短いので、ゆっくりクルージングを楽しみながらの航海です。途中、筆者も舵を握らせてもらしました。ヨット初心者ですが束の間ヨットマン気分を味わうことに。   ヨットの舵は車と同じように右に回せば右を向きます。最初は舵の回転感覚が分からず苦戦。これが意外と繊細にできていて、舵を切りすぎて失速、セールがたわんでしまうこともしばしばありました。   ヨットは真っすぐ進めないので目標に向けてジグザグに進みます。最も風を受ける確度に帆を合わせるために舵を動かして、風を掴まないと前に進みません。風を掴んでは舵を戻す、掴んでは戻す、と小気味よく舵を動かして目標に寄せていきます。これが思いのほか初心者には面白いのです。   風の状況は刻々と変化しますし、ボケっとしていると流されてしまいます。風の方向に対してセールの向きを右から左に変えるタッキングやジャイビングなど、聞きなれない技があるようで、スキッパーの指示に従って乗員もそれをサポートします。 羅針盤、速度計、風向計?など計器が並ぶ操縦桿 ヨットの止め方って?筆者にとっては全てが初体験。錨を降ろす体験もさせてもらいました。といっても電動ボタンを押すだけ。。錨を下ろして、下ろして、下ろしながら船の後方から着岸します。ヨットの後ろ側、左右からロープを渡して固定したら、今度は逆に錨をどんどん上げていきます。そして錨の鎖がピンと張ったところで停止、錨とロープの3点で止めているのです。   こうして貴重なヨットマン体験もできてしまうのがヨットクルージングツアーの魅力のひとつ。自分たちの力で海を渡り、島を巡るというのが、冒険心をくすぐるのではないでょうか。ヨットについても興味があればスキッパーにいろいろ聞いてみるのもよいですし、きっと新しい発見があり楽しい経験になるはずです。   船の生活、トイレ、シャワー、電気事情 ヨットクルージングツアーで気になる生活事情についても少し触れておきたいと思います。まずトイレについては水洗なのでキレイです。しかし紙を流すとつまりの原因となるので、紙は流せません!ですので使用したチリ紙はゴミ箱に封印します。。この点は陸上生活と比べると少し不便というか不潔というかそう感じる部分もあるかもしれませんが、島に着いたらゴミを捨てます。筆者もトイレ事情を確認できてスッキリ解消できました。   また、シャワーを浴びる時はトレイの蓋を閉じて、上からシャワーを浴びます。足元の水は排水できます。お湯は20リットル常備されているので(エンジン使用時に沸かす)、一度に4.5人は浴びれるはずです。   外見はラグジュアリーなヨットツアーですが、その実態は硬派なアウトドア冒険旅行ともいえ、トイレ、シャワーなどに一部不便のあることもお伝えしておかなければならないでしょう。陸に上がっている時に、トイレやシャワーを済ますのも手です。場所によっては港にシャワー設備がある所もあります。   電気については、各島の港の岸にコインパーキングのような設備が設置されていてコンセントと蛇口がセットされています。停泊している間は、ここから電気の充電と真水の補給を行います。停泊中にバッテリー関連は充電しておきます。ヨットが盛んなギリシャならでは、無人島に停泊するのでなければ電気や水の心配もいりません。 コインパーキングならぬコイン電気と水  ギリシャの夜、デッキの上には満点の星空 夜になりデッキに上がって夜空を見上げれば、満点の星空が広がります。ギリシャは空気が乾燥して澄んでいるせいか日本の田舎のように満点の星空を楽しむことができます。デッキに寝そべって夜空を見上げるのも船の旅の楽しみの一つだと知りました。   この時はオリオン座の中のオリオン大星雲もくっきり見えました。そういば星座を考えたのも古代ギリシャの人たち。当時の偉い人や哲学者などが集まって、満点の星を眺めながら侃々諤々、ギリシャ神話を星のストーリーに変えたのでしょうか。。   またアテネのパルテノン神殿と、南方のポセイドン神殿、エギナ島のアファイア神殿は、正三角形の位置に配されていると聞きました。星を観察することで正確な測量技術も持っていた古代ギリシャ人。   海の静寂の中、満点の星空と、港に浮かぶ船たちを前に、ギリシャ人の宇宙観について想いを馳せるのでした。   最終日3日目はポロス島からエギナ島 最終日、3日目はポロス島からエギナ島へ向かいます。朝7時から出航し4時間ほどのクルージングでした。途中、活火山のメタナ火山や、野生動物の病院でもあるモニ島、ダイビングやシュノーケルにも最適な岩礁があるサロニカ諸島などを横目に通りすぎます。   このあたりの海域はカリブ海のように美しく透明度の高い青い海です。夏場のメリットはエーゲ海の紺碧の海で海水浴ができること。周辺の無人島ビーチで遊ぶ観光客も増えるということです。   エギナ島はピスタチオ発祥の地といわれていて、船を降りた海岸通りにはピスタチオの出店が並んでいます。ギリシャといえばオリーブというイメージがありますが、ピスタチオもギリシャの名産なのです。   車で島を走って行くと一面に生えている木はオリーブではない?それがピスタチオの木、ということですが。大きさはオリーブよりやや小さめで、葉っぱらしい大きめの葉っぱが着いています。   目指したのは港の反対側に位置する古代遺跡アファイア神殿です。エギナ島では、イドラ島とは異なり車が普通に走っています。タクシーで15分から20分で目的地へ着きます。   アファイア神殿はパルテノン神殿と同じく紀元前500年ころに造られた神殿で、姿かたちはパルテノン神殿とほぼ同じです。ただ素材が石灰岩なので、大理石のアクロポリスと違い雨風でザラザラと朽ち果てた風合いになっています。   大きさはパルテノン神殿より小さめですが、小高い山の上に建っていて四方の眺めも美しいです。逆に海からアファイア神殿を見ると遠くからでも見つけられます。これはアクロポリスの丘と同様で、海から見ると灯台のような目印にもなります。   ピスタチオを買ってエギナ島からアテネへ帰港   港に戻ったらひとまずピスタチオを買っておきました。プレーンのもの、味付けしたもの、店によってそれぞれ味が異なります。またピスタチオバターの種類も豊富です。しっかり味見してお気に入りを見つけてください。ギリシャの販売員の皆さんはとても感じが良いので、何袋も買ってしまうかもしれません。   2時間ほどエギナ島を観光し、13時にはアテネに向けて再び出航です。天気は午後から曇り始めましたが、強い風が吹き、セーリングには最高のコンディションとなりました。20ノット近くの風が出て8ノットを超えるスピードで船は進みます。波も荒くなり船は大きく左に傾いたままアテネ方面の北へ向かいます。   体感的にはかなりのスピード感で、上下に大きく揺れるので、もはやエキサイティングスポーツです。船内の荷物も何処かへ吹っ飛んでしまいます、物は飛ばないようにしっかり収納。ヨットクルージングが初めての筆者ですが船酔いはなかったので、遊園地のアトラクションのように楽しむことができました。   羅針盤を頼りに60°の方向を目指すとスキッパー船長。船長でさえ難しいと唸るほどの風の中、重くなった操縦桿を握る船長もついに本気モード。時刻は16時前、ヨットは予定よりも速いペースで進み、約3時間のクルージングでアテネ近郊へ。沖からアテネを眺めるとアクロポリスの丘が見えてきます。ギリシャ時代の船乗りたちも見たであろう景色を前に、今日も無事にアテネに着いたわい、と船乗りたちの呟きが聞こえて来そうな気さえします。   船は漁をするにも移動するにも、ギリシャ人にとって生活を支える大切な道具です。ここでは船に乗ることが当たり前であり、羅針盤と風を頼りにセーリングができて初めて一人前とは呼べるのかもしれません。   こうしてエーゲ海の島々に囲まれてヨットの舵を握ると、当時のギリシャ人の生活の一端を垣間見ることができた気がします。アテネを少し離れただけでギリシャ時代と変わらない群島の姿や、昔のままの村、飾らない人々など、古代ヨーロッパの起源とされるギリシャの本質に触れることができると思うのです。 プライベートヨットで巡るギリシャの島々ツアーを見る   Thu, 01 Feb 2018 00:00:00 +0900 ブレゲンツ音楽祭♪2018年はカルメンで盛り上がる! http:///blog/item/11352.html http:///blog/item/11352.html オーストリアと言えば何を思い浮かべますか?音楽の都ウィーンやサウンドオブミュージックの舞台ザルツブルク? だけじゃありません・・・! 今回ご紹介するのは、オーストリア西端、フォアアールベルク州の州都ブレゲンツ。 ウィーンからは特急で8〜9時間。日本人には馴染みが薄いかもしれませんが、オペラファンや舞台ファンが、「一度は行きたい!」という世界的に有名な音楽祭の一つブレゲンツ音楽祭で知られている町です。 ブレゲンツは、ドイツ、スイスに接しており、約30キロ南西にスイスのザンクトガレン、湖の対岸にはドイツのリンダウが位置します。スイスに隣接しているため、オーストリアよりスイス人の気質に近いと言われています。 ボーデン湖の対岸はドイツのリンダウ。   世界中の音楽ファンが一度は行きたいという「ブレゲンツ音楽祭」とは・・・ 特徴は、なんといっても世界最大級の湖上舞台。ボーデン湖上に設置された巨大舞台の上で、最先端の技術を駆使したスペクタクルなオペラが、毎年7月下旬から1ヶ月間開催されます。日の入りが遅い夏の夜、オレンジ色から濃紺にゆっくりと移り変わる湖の上に広がる空を背景に繰り広げられる壮大な舞台はまさに圧巻!見応え満点です。 ボーデン湖にだんだんと夕日が落ち始めるといよいよ公演開始。スペクタクルなステージが7000人の観客を魅了します。   ブレゲンツ音楽祭で上演される演目は2年ごとに変わるのですが、2018年の公演は、昨年に引き続き、ビゼーの代表的「カルメン」です。 スペインで自由奔放に生きる女性カルメンと、彼女に心を奪われ、仕事も婚約者も捨てて追いかける衛兵伍長ドン・ホセとの恋愛や葛藤を描いた悲劇。 妖艶なカルメンが歌う「ジプシーの歌」、ジョゼによる「手紙の歌」、「闘牛士の歌」に「フラメンコの踊り」など、聞いたことのある名曲が満載で、ストーリーも分かりやすいので、オペラファンだけでなく、オペラ初心者でも楽しめる親しみやすい演目です! オペラファンも、オペラを鑑賞してみたいけどちょっと敷居が高そう、、と感じている人も、このブレゲンツでしか味わえないオペラ公演へどうぞお出掛けください♪   【2018年公演日】 7月 20, 21, 22, 24, 26, 27, 28, 29, 31日 8月 1, 2, 3, 4, 5, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 14, 15, 17, 18,19 日  *7月20日はプレミア公演となります。 オーストリアエクスプレスでは、ご希望の公演日に合わせて旅程プランをご案内いたします。 音楽祭会場のあるブレゲンツの町に到着後は、日本語ガイドがホテルへご案内するので安心です♪ ブレゲンツの街並みと、ブレゲンツ音楽祭を是非ご堪能ください。 スイスのチューリヒからは鉄道で約1時間半。ドイツのミュンヘンからも約2時間半と、お隣の国からもアクセス可能です。他の都市との組み合わせも自由自在。ご希望に合わせて日程アレンジいたします。                           チケットが売切れ次第ツアー受付終了ですので、ご興味ある方はお早めにお問い合わせください。   「ブレゲンツ音楽祭♪』鑑賞ツアー好評受付中です!   Mon, 29 Jan 2018 00:00:00 +0900 神々の黄昏ールートヴィッヒ2世の生涯 http:///blog/item/11301.html http:///blog/item/11301.html ドイツを語る上で欠かせない人物の一人にルートヴィッヒ2世がいます。 ノイシュヴァンシュタイン城をはじめとする豪華なお城を幾つか建てたことで知られている人物ですね。 「狂王」や「メルヘン王」とも呼ばれた彼の人生をご紹介いたしましょう。 1845年8月25日、ヴィッテルスバッハ家のマキシミリアン2世の長男としてミュンヘンのニンフェンブルク城で生を受けました。 祖父であるルートヴィッヒ1世と同じ日、同じ時間帯に生まれたことから同じ「ルートヴィッヒ」の名を受け継ぐことに。 (写真は彼の生まれたニンフェンブルク城) 子供の頃に経験したこと、置かれた環境は成長する過程、成人した後において大きな影響を及ぼすものです。 そんな「トラウマ」と呼ばれるものはルートヴィッヒにもありました… 父親であるマキシミリアン2世は非常に厳格で多忙な人物で、彼ルートヴィッヒと弟のオットー(3歳年下)に接する時間はほんの少し、十分に親からの愛情を得られませんでした。幼少時代の大半はホーエンシュヴァンガウ城で中世の騎士伝説、英雄伝説の物語を読んで過ごしていたようです。 孤独な幼少時代は、その後の自分の殻に閉じこもった性格を生み出すものになっていくのです。 (写真は幼少期を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城) ルートヴィッヒが15歳の時、彼の運命を大きく決めてしまうことがありました。 それはミュンヘンの宮廷歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」を鑑賞し、すっかり心を奪われてしまったことです。 キタ━(゚∀゚)━! …という心情だったんでしょうね(笑) まさしく幼少期に本の中で触れた騎士伝説、英雄伝説が目の前で体現され、ワーグナーに陶酔した瞬間でした。それが悲劇への第一歩とはつゆ知らず… (写真はミュンヘン宮廷歌劇場、現国立歌劇場) 1864年、父親のマクシミリアン2世が逝去し、わずか18歳でバイエルン国王に即位したルートヴィッヒ。 王に君臨し、まず行ったことは… 子供のころに感銘を受けたオペラの作曲家ワーグナーを宮廷に招いたことです、やはり… パトロンとして多大な資産を与えて、それに応えて王を満足させていたワーグナーですが、側近たちは快く思っていなかったようです。 結局、家臣たちの進言受け入れ、1年ほどでワーグナーを追放してしまいます。 (´・3・)チェッ ルートヴィッヒはすねてしまいました。そしてどういう行動に出たかというと… ワーグナーを手放したルートヴィッヒは完全に王族としての執務を怠るようになります。(中身はおもちゃを取り上げられた子供のようなものですから…) そして、もう一つの憧れである中世のロマンを体現化することに傾倒していきます。 ご存じノイシュヴァンシュタイン城、ヘレンキームゼー城、リンダーホフ城の建設です。 あのような豪華なお城ですから、それはもう多額の費用を必要としたことは言うまでもありません。 もちろん、その費用は国民からの税金。美男子として人気のあった彼ですが、さすがに国民には許せなかったことでしょう… (写真は冬のリンダーホフ城) バイエルン王国は普墺戦争(プロイセンvsオーストリア帝国、1866年)でオーストリア側について参戦し、敗戦したことを受けて多額の賠償金を払うことになってしまいました。もっともルートヴィッヒは戦争には参加したくないと思っていましたが… この頃から(さらに)自分の殻に閉じこもるようになり、現実逃避や奇行が目立ってきました。かつての端正な顔立ちは見る影もなく、体重も太り目つきも怪しくなっていたそうです。 それを見かねた家臣たちは1886年6月12日、彼を逮捕し廃位させてしまいました。そして… 逮捕されたルートヴィッヒはシュタルンベルク湖畔にあるベルク城に送られました。 そして翌日の1886年6月13日、医師のフォン・グッデンとともに水死体として発見されました。一説には入水自殺を止めようとしたグッデンの首を絞めて殺害し、その後自ら入水したというものがありますが、現在まで真相は謎に包まれたままです… 『王は狂人ではありませんでした。ただ夢の世界に閉じ籠もって風変わりな暮らしをしていただけです。人々が彼をもっと寛大に扱っていたら、こんな恐ろしい最期を遂げなくてすんだことでしょう』 オーストリア=ハンガリー帝国フランツ・ヨーゼフ1世の王妃エリザベートがルートヴィッヒの死の知らせを聞いた時の言葉です。 人は生まれる時代を選べません。もし、ルートヴィッヒが違う時代に生まれていれば、こんな悲劇的な人生を歩まなかったかもしれません。 皮肉にも彼の建設したお城は現在、ドイツおよびバイエルン州の貴重な観光資源となっています。 遺産、それは後々になってから初めて価値が出るもの。少し悲しい話ですね… さて、これは1972年の「ルートヴィヒ/神々の黄昏」という映画の内容を(かなり)端折って、実際に舞台になった場所とを合わせてご紹介したものです。 一つのストーリーにこれだけの場所が関わっていくとは...書いている本人もビックリですが… こういったテーマを元に旅を作っていくのもいいものです。是非一貫したストーリーを軸に旅行の計画を立ててみて下さいね♪ Mon, 15 Jan 2018 09:59:22 +0900 3年に1度!ベルギー・イーペルの猫祭りについて学ぶ その2 http:///blog/item/11269.html http:///blog/item/11269.html 3年に一度、ベルギーのイーペルという町で猫祭りが開催されます。 (猫祭りについては<こちら>のページでも詳しく紹介しています。) 出発前にイーペルと猫祭りについて学んで、旅をより深く楽しみましょう! 今回の記事はイーペルの歴史についてです。 <イーペルの戦い> イーペルは大戦で甚大な被害を被った街であることを皆様ご存知でしたか? イーペルは、猫祭りの街としてはもちろん、"War Tourism"の街としても有名です。 ※War Tourism=かつての戦地や戦争の負の遺産を訪ねる旅行。 中世には毛織物工業で栄えたイーペル。ひとたび街に足を踏み入れれば、中世にタイムスリップしたかのような感覚を覚えることでしょう。 世界遺産にも登録されている繊維会館(鐘楼)や聖マルティヌス聖堂など、壮麗な建物を中心に旧市街が広がっています。 しかし、この美しい旧市街は、実は大戦後に元の姿に似せて修復されたものなのです。 歴史を知らなければ、旧市街にある建物の大半が戦争で破壊され、復建されたものだとは到底思えないでしょう。 第一次世界大戦で、「イーペルの戦い」の舞台となったこの街では、30万人もの連合軍兵が戦死したそうです。 戦没者の慰霊碑・メニン門や戦争博物館などが、悲しい歴史を伝えています。 <赤いポピーの意味> イーペルの街中で見かける赤いポピーの花はどういう意味合いがあるのかご存知ですか? 11月11日はベルギーにおける第一次世界大戦休戦記念日です。 第一次世界大戦時の西部戦線では、ベルギー南部からフランス北部にかけて戦線が構築されました。 激戦地となったベルギー各地では多くの犠牲者が出ました。 世界初の大規模な毒ガス攻撃が行われたイーペルでもそれは同様でした。 第一次イーペル会戦、第二次イーペル会戦、第三次イーペル会戦(パッシェンデールの戦い)によってすっかり廃墟となったイーペル。ベルギーを守るため、多くのイギリス軍人が犠牲となりました。 特に被害の大きかったイーペルでは、今でも毎日欠かすことなく戦没者を慰霊するイベントが行われています。 イーペルを訪れると、きっとどこかで赤いポピー(ヒナゲシ)の花を目にすることがあるでしょう。 それは、戦没者の象徴。 イギリスでは毎年11月11日が近付くと、多くの人が胸に赤いポピーのバッジを身に着け、戦没者を悼むそうです。   <2018イーペルの猫祭りツアー 一覧はこちら> 前泊/延泊など、ツアー前後のアレンジも承ります。お問い合わせ下さい。 Mon, 08 Jan 2018 00:00:00 +0900 Good Bye サイモン・ラトル! ベルリンフィル野外コンサート”ヴァルトビューネ” http:///blog/item/11277.html http:///blog/item/11277.html 毎年6月末に開催されるベルリンフィルハーモニーの野外コンサート『ヴァルトビューネ Wald Bühne』 知る人ぞ知るベルリンの夏の風物詩。クラシックファンなら誰もが一度は訪れたいコンサートです。心地よい風が吹く初夏の夜、森(Wald)に囲まれた緑あふれる舞台に一流の音楽が響き渡ります♬ 日本でもテレビ上映されたことから少しずつ認知度が上がってきました。   2017年の開催日は6月24日! 2018年ヴァルトビューネ野外演奏会でタクトを振るのは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼首席指揮者のサイモン・ラトル氏です。2018年のヴァルトビューネはいつになく特別な夜となるはず。というのも…来年のヴァルトビューネをもってラトル氏は16年間に及ぶベルリンフィル主席指揮者を退任します。 愛妻コジェナーを迎えて催されるヴァルトビューネは、シーズンの最後を飾る恒例のイベントであると同時に、ラトルが音楽監督として最後に指揮台に立ち、ベルリンの聴衆に別れを告げる機会になります。 2002年ポスト就任以来、世界最高峰といわれるオーケストラの能力を最大限に引き出し、現代におけるクラシック音楽の響きの極みを披露し続けてきたラトル氏。 偉大なるマエストロが奏でるヴァルトビューネはどんな音色になるのでしょうか…✨ 演目はこちら↓ ===2018年 ベルリンフィルハーモニー 野外コンサート(ヴァルトビューネ)=== ■出演■ Simon Rattle  サイモン・ラトル(指揮)  ■演目■ ジョージ・ガーシュウィン 「キューバ序曲」 ガブリエル・フォーレ 「パヴァーヌ」  ジョゼフ・カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」より  アラム・ハチャトゥリアン バレエ「ガイーヌ」より  オットリーノ・レスピーギ 「ローマの松」より ======================================= では、ここからはそんなヴァルトビューネの会場の様子をご紹介します。 古代ギリシャの円形劇場をモデルに作られた会場。約24,000席の座席が満席となります。開演は20時15分。ドイツの6月は20時でもまだまだ明るい。ヴァルトビューネは別名“ピクニックコンサート”とも呼ばれており、食べ物や飲み物、お菓子、シート、キャンドルなどを持参して、まるでピクニックに行くかのようにコンサートを楽しむ人々でにぎわいます。持ち寄ったお菓子を食べながら、仲間同士でおしゃべりしたり…コンサートが始まるまでのそんな時間もお楽しみの一つ。 開演の少し前には、恒例の観客ウェーブが! こんなに広い野外会場、しかも森の中にもかかわらず、音色は会場全体に美しく響き渡ります♬ヴァルトビューネの<音響技術>は、注目を集めるほど、本当に素晴らしいそうです。また、自然の中というだけあって、鳥の鳴く声や上空を飛ぶ飛行機などの音もオーケストラの演奏と呼応します。(鳥の鳴き声が聴こえたときは会場全体でほほえましい空気になりますが、飛行機が来たときは少し苦笑いといった感じでしょうか。それでも、それが“自然”なので、ヴァルトビューネのよさでもあります。) 後半の曲が終わる頃には、あたりはすっかり暗くなってきます。キャンドルの幻想的な灯が灯り、ひとたびロマンチックなムードに…日が沈んだ森の中で聞くベルリンフィルはまた格別です。コンサートは約2時間半~3時間で終演をむかえます。 ヴァルトビューネが終わると楽団員たちはバケーションに入り、本格的な夏の始まりです。夏の心地よいベルリンの風を感じながら、ラトル氏の有終の美を見届けませんか? お問い合わせはこちらから! 2018年 ベルリンフィル野外コンサート《ヴァルトビューネ》鑑賞ツアー *ドイツエクスプレスのツアーでは、終演後の遅い時間でも安心の会場送迎車付きです! Tue, 26 Dec 2017 14:19:57 +0900 ギリシャヨットクルージングの魅力とは?-エーゲ海冒険旅行<前編> http:///blog/item/11249.html http:///blog/item/11249.html 日本ではまだ馴染みの薄いヨットクルージングツアーを体験する機会を得ましたので、ヨット初体験ですが体験記をお伝えします。舞台はヨーロッパの起源ともいわれるエーゲ海の群島国ギリシャです。 ギリシャはバルカン半島の南端に位置する国で、地中海の中でも大小2500以上もの島々が密集するエーゲ海とイオニア海に面しています。地図を見ていてもエーゲ海の島々を抱えるような形で非常に特徴的。 ヨットで島巡りとなると俄然これらの島々に注目がいくようになります。ヨーロッパでヨットクルージングなんてお金持ちのための遊びというイメージですが、実際のところどうなのでしょうか? 実は手軽でお得なヨットツアー 日本ではまだあまり知られていないかもしれませんが、ギリシャをはじめ南ヨーロッパの国々ではヨットを持っていなくても、スキッパー(船長)付きでヨットをチャーターし、バカンスや週末を利用して家族や仲間とクルージングを楽しむという文化があるのです。 費用的にも、その他の海外旅行とそれほど変わらない料金で楽しむことができます。なぜなら、移動や宿泊、炊事をヨットで賄うからです。ヨットは動くホテルになるので、贅沢をしなければ思いのほか安く素敵な思い出を創ることができます。 家族や友人と自炊パーティ、デッキの上で日光浴、夏であれば綺麗な海をシュノーケリングと、一生に一度とは言わず何度でも体験したいオススメ冒険旅行ツアーなのです。 出発前日の夕刻にヨットに乗り込む 実は広々快適なヨットの船内 今回のヨットは50フィートを超える大型クルーザーヨット。ギリシャエクスプレスが提携するMGヨット社は、ギリシャチャータヨットのリーディングカンパニーでヨットやクルーザーを多数所有する頼れる女社長の会社です。スキッパーさんもいかにもギリシャ人らしい白髪の海の男で頼もしいかぎり。 船の内部は、4室(内3室はトイレ兼シャワー付き)、広々リビング&キッチン、ガスコンロ2口、冷蔵庫2つ、脇に二段ベット室を備えたもの。各室のベッドはダブルサイズなので8人がゆったり泊まれるほどの大きさです。今回は4人+スキッパー1人を合わせた5人の乗員だったのでチャーターヨットとしては広過ぎるくらいの居住空間です。 ちなみに、スキッパーは船の先端にある別室(デッキの上窓から入る)に寝泊まりします。スキッパーも旅の仲間の一人ですが、基本的にキャビンの中を通り抜けしない設計になっているのでプライバシーが心配という方も大丈夫です!各室はトイレ兼シャワーもあり部屋ごとにプライバシーは確保されているので安心です。 メーンキャビンのリビング&キッチン。奥にシンクとコンロ、手前は冷蔵庫 自炊生活の旅がラグジュアリー? 船に入って最初にすることと言えば、ベットメーキングでしょう。シーツは替えも用意されているので途中で取り替えるなど各自で行うことになります。船内は数日お世話になる生活の場となります。炊事から身の回りの整理や掃除は基本的に自分たちで行います。一見ラグジュアリーなイメージのヨットクルージングツアーですが、実際はいかがでしょうか。 豪華客船クルーズや豪華ホテルの至れり尽くせりの旅とは違い、キャンプ感覚に近い冒険旅行がヨットクルージングツアーといえると思います。ヨットの旅では快適で刺激的な時間を自分たちで創り出すのが、その楽しみの一つのようです。 光も差して明るいヨット船室のベッド アテネ-イドラ島-ポロス島-エギナ島-アテネ アテネにあるカラマキマリーナのヨットハーバーは大きなもので、横浜ベイサイドマリーナとほぼ同程度の大きさを誇ります。人口1000万人のギリシャにしてみればヨット人口はかなり多いと想像されます。多島海の群島国ならでは、エーゲ海は地形的にもクルージングに適した絶好のスポットなのでしょう。  今回の渡航ルートは、最初にアテネから60kmほど南に位置するイドラ島まで一気に下りて、翌日は北へ約15㎞のポロス島へ、最終日はそこから更に北へ約20㎞エギナ島を経て、また北のアテネまで戻る3日間行程となります。 初日はアテネ観光、アクロポリス散策を終えた後、夕刻からヨットに乗り込みます。近くのスーパーで船旅の買い出しをし、出発前の準備を整えて、その夜は停泊したヨットに宿泊します。船旅3泊+前後ハーバー2泊のすべてヨット泊です。ヨットツアーではトイレ・シャワーに一部不便を感じる部分もあるはずなので、途中や最後にホテル泊を加えてもよいと思います。 1日目アテネカラマキマリーナを出港 翌日は朝7時から出航です。天気も快晴で抜群のヨット日和となりました。季節は11月初旬だったので朝晩は少し冷えますが(10℃弱位)、日中は暖かく15℃~20℃位まで上がります。沖に出ると海上は冷えますが、日が差している時は暑く感じるくらい、逆に雲に日が隠れると肌寒く感じます。 気温的には11月でもヨットツアーは可能ですし、むしろ汗をかかないので快適です。さすがに海で泳ぐことは躊躇しますが、夏場であれば紺碧の海でシュノーケリングを楽しむことができます。ただし夏場のハイシーズンは港が大変込み合うのと料金も高いので、10月や11月はオススメの時期といえると思います。 ギリシャでは秋冬は雨季にあたり11月は雨も降りますが、365日のうち65日が雨といわれるくらい雨が少ないのです。雨が降ったら恵みの雨といえるかもしれません。 出発前のアテネカラマキマリーナ アテネを出発、セールアップ アテネを離れて沖に出ること30分、スキッパーの指示のもとヨットのセールアップです。筆者もマストの下にスタンバイし、メーンセールのロープを一所懸命に引っ張ります。。セールアップはまさに冒険の始まりという感じ、ピンと帆を立てていざ出発! 後ろを振り向けばまだアクロポリスの丘のパルテノン神殿が小さく見えています。エーゲ海に浮かぶ島々を臨むと、ギリシャ人が海洋民族だったことにうなずけるはずです。ギリシャの島々は大小合わせて2500以上、この群島を移動する手段はもっぱら船なのです。 デッキの上を移動して景色を見まわしたり、食事の準備をしたり、思い思いに5時間程のクルージングを楽しむと、最初の目的地イドラ島が見えてきました。ヨットで港に近づいていく光景はスローモーションのように映り、何とも言えない旅情を感じる瞬間です。 メーンセールをセールアップ 1つ目の島、旅情を誘うイドラ島 小さな入り江、人と犬が歩く姿、鐘の音、イドラ島は牧歌的な風情を感じる程のよさが魅力。自動車は走っておらず、代わりにロバが物資を運びます。こうしてアテネを離れてすぐ近くの島々でさえ、ほとんど昔と変わらない姿を残し、古代とあまり変わらないような情景を目にすることができます。 確かに観光地化された島には高速艇や飛行機が行き来するので、時間のない現代人にとっては手っ取り早くギリシャの人気スポットを巡るのが効率的かもしれません。しかし、その他多くの小さな島々への移動は船となり、クルージングツアーだからこそ巡ることができる場所があり、感じることができる体験があるのです。 古代ギリシャ人が感じていた海、大切な船、島への愛着など、その心の琴線に触れることができると思います。 ギリシャヨットクルージングの魅力とは?-エーゲ海冒険旅行<後編> プライベートヨットで巡るギリシャの島々ツアーを見る イドラ島ではロバが移動の手段 高台からイドラ島の港の眺め Mon, 18 Dec 2017 00:00:00 +0900 ドイツの音楽祭♪ オススメ TOP5! http:///blog/item/11237.html http:///blog/item/11237.html 音楽の本場ドイツ♪ バッハやベートーベン、ヘンデルにワーグナーなど、数多くの著名な音楽家を輩出したドイツでは、各地で様々な音楽祭が開催されています。 ドイツ国内で開催される音楽祭の数は、歴史のある古くからあるものやここ最近できた新しいものまで合わせると、なんと500以上にのぼるそうです。 音楽祭のジャンルも、ジャズ・ポップス・ロック・クラシックなど様々ありまして、これだけ数があるとすべての音楽祭をご案内するのはなかなか難しいので、今回はユーレックスおすすめ「クラシック音楽祭TOP5」をご紹介します! 1、バッハ音楽祭 クラシック音楽の父と称されるヨハン・セバスチャン・バッハ。 バッがが活躍したライプツィッヒを中心に、春の暖かく過ごしやすい気候の6月に開催されます。 コンサート会場の一つでもあるトーマス教会は、バッハが長年カントール(教会音楽監督)を務めた教会で知られます。教会隣のバッハミュージアムでは、彼の作品をヘッドフォンで視聴できるコーナーがあり、ついつい長居してしまいますが、ここでは時間を気にせずゆっくりとバッハに浸りましょう。 2、バイロイト音楽祭 バイロイト音楽祭といえば、リヒャルト・ワーグナー! 「ニーベルンゲンの指輪」や「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」「ローエングリン」などワーグナーの作品のみが、バイロイト祝祭劇場で公演されます。 バイロイト音楽祭はチケットの入手が世界一難しいことで知られ、10年以上待ってやっと手に入れた・・・、というようなエピソードがあるくらい。一生のうちに一度行ければラッキーという、「バイロイト音楽祭=ほぼ諦めの音楽祭」・・・だったのですが!! それはあんまりだと思ってくれたのか、数年前から主催側のチケット販売方法が変わり、チケット入手のチャンスがようやく出てきました! とはいえ、早い段階で完売になることは変わりません。 弊社でもでも手配お承りしていますので、ご希望の場合は、お問い合わせください。 バイロイト音楽祭は、毎年7月末~8月末の開催です♪ 3、ベートーヴェン音楽祭 「第九や「運命」といった代表曲は、耳にすることが多い日本人には一番馴染みがありそうです。そう、ベートーベン! 貧しい幼少期から音楽の才能を発揮し、数多くの楽曲を生み出し、耳が聞こえなくなってからも曲を作り続け、また、指揮棒を振り、世の中に認められた作曲家です。 ベートーヴェンが生まれ育ったボンで開催される、この貴重な音楽祭は、秋の風情を感じ始める8月末~9月末に開催されます。 4、ドレスデン音楽祭 エルベ川が流れる旧東ドイツにある古都ドレスデン。 ゼンパーオペラ、フラウエン教会、文化宮殿など歴史あるドレスデンの建築物を会場に、世界各地から著名な指揮者、演奏者、ソリスト達が集結し、美しい音色を奏でます。 ドレスデン音楽祭は、暖かくなり花が咲く春の5月~6月に開催されます。 5、ヴュルツブルク音楽祭 ヴュルツブルク音楽祭、またの名を、『ヴュルツブルク・モーツアルト音楽祭』。 こちらも5月~6月の約1ヶ月間に渡っ、ロマンチック街道スタートの町として知られる町、ヴュルツブルクでて開催される音楽祭です。 旅をしていたモーツアルトがその美しさに大変感銘を受けた、といわれるヴュルツブルクには世界遺産に登録されるレジデンツ宮殿。 ヴュルツブルク音楽祭は、このレジデンツ宮殿の屋内、また、屋外の庭園で開催されます。 クラシックファンにはどれも魅力あるコンサートばかり! こうした音楽祭では、歴史の古い建築物や教会、宮殿、城など、建物自体が観光スポットとしても知られる場所をコンサート会場とすることが多く、音楽を聴く以上の体験をすることが可能です♪ 音楽にはそんなに興味がないかも・・・という方も、本場の音楽の雰囲気を楽しむ『体験プラン』としてオススメします! Thu, 14 Dec 2017 10:38:45 +0900 2018FIFAロシア大会ワールドカップの開催都市はどんなところ? http:///blog/item/11212.html http:///blog/item/11212.html 2018年にロシアでワールドカップが開催されます。12月1日に抽選が終わり、日本と対戦するチームも決定!いよいよ本格的にシーズンが始まったという感じです。日本は非常に良いグループに入れたのではないでしょうか。期待が高まりますね。今回はロシアの開催都市がどんなところかご紹介したいと思います。 <モスクワ> モスクワは1200万人もの人が住むロシアの最大の都市です。そんなモスクワで最もにぎわう場所の一つが、アルバート通りです。喫茶店や土産屋が充実し、古きよきモスクワの空気を感じることができます。市内を流れるモスクワ川クルーズや、ロシア最古のクレムリンなど、他にも見どころがたくさんある町です。オリヴィエと呼ばれるロシア風のサラダや、ビアホールで味わう一杯など、食の文化も充実します。モスクワでは、ロシア最大の収容人数を誇る<ルジニキ>と<スパルタク>の2つのスタジアムで開催されます。 <サ Mon, 04 Dec 2017 17:42:40 +0900