ヘルマン・ヘッセ その3 バーゼル


ヘッセ幼少時代の住まい バーゼル伝道会

先日はバーゼルの秋祭りについて書きました。今日は作家へルマン・ヘッセのバーゼルと称して書きたいと思います。ヘルマン・ヘッセについては、生まれ故郷のカルフと、書店見習いとして働き始めたテュービンゲンを2回に分けてご紹介しました。ヘルマン・ヘッセの故郷カルフへ ヘルマン・ヘッセその2 テュービンゲンの書店員時代
(ドイツ・エクスプレス内のサイトになります。)


ヘッセは、ドイツ黒い森のカルフ生まれですが、1881年4歳の時に父がバーゼル伝道会の教師として呼ばれたので一家でバーゼルに引っ越します。1886年8歳までの幼少時の5年間、バーゼルで過ごします。父親が教師をし、一家で暮らし、またヘッセが学校にも通ったバーゼル伝道館(ミッションハウス)は2001年から一部がホテルになっています。
シュパレン門から100m、シンプルな3つ星ホテルです。実際、一家が住んでいた建物はホテル裏手に現在も残っているそうです。ヘッセが7歳の時、同志社大学の創始者・新島襄が、このミッションハウスに父ヨハネス・ヘッセを訪ねに来ています。後に翻訳者の高橋健二氏がヘッセに会った際、ヘッセは両親が新島襄のことをとても可愛がっていたと感慨深そうに話したといいます。


ミッションハウスの中で、幸せな幼少期を過ごしたヘッセは、カルフへ戻り困難な時を迎えます。そして、テュービンゲンで書店見習いとして落ち着いた生活を送れるようになった後、1899年に再びバーゼルに来て、ライヒ書店とヴァッテンヴュール書店で働きながら、執筆に勤めます。この地で共に文学について語らう仲間を得て、1904年ペーター・カーメンチントで大成功を収めました。ヘッセ27才、写真家で9歳年上のマリア・ベルニリと結婚。書店員を辞め、筆一本で生きていく決心をします。新婚の2人は、自然に回帰するように、ボーデン湖畔のガイエンホーフェンという店が一軒もない田舎に引越します。


バーゼル市中央には雄大なライン川が北に向って流れています。左岸は旧市街、右岸(北側)には国際見本市会場があります。旧市街の大聖堂(ミュンスター)の下からは昔ながらの渡し舟が出ていて、両岸に張られたロープを伝わって行き来しています。川面から眺める景色もいいものですよ♪
川を渡った右岸には、遊歩道がございます。みんな思い思いにのんびり過ごしています。ミットレレ橋の右岸のたもとにあるカフェUfer7で一休みされてはいかがでしょうか?素晴らしい眺めです。

お土産には、バーゼル(Basel)の伝統郷土菓子バーズラー・レッカリー(Basler Läckerli)は、いかがでしょうか?小麦粉、蜂蜜、スパイス、ドライフルーツ、ナッツを入れた生地を焼いて正方形に切ったものです。レープクーヘンより少しもっちりしていて美味しいですよ。バーズラー・レッカリーの専門店(Läckerli Huus)は駅構内と旧市街、右岸ミットレレ橋たもとに1軒ずつ計3軒ございます。右岸の店舗はカフェになっています。(カフェUfer7の並び)専門店レッカリーフース(Läckerli Huus)  また、ちょっと贅沢に食事をされたい時は、ライン川左岸沿いに建つ5つ星ホテル、グランドホテル レ・トロワ・ロワ内のレストラン Brasserie Les Trois Rois をお勧めします。お値段はしますが、お料理、サービス、雰囲気、ライン川の眺めの全てが上質です。


バーゼルに観光に行かれる方は少ないのですが、名画の宝庫バーゼル美術館モネの睡蓮の絵と庭のあるバイエラー財団、また少し足を伸ばして国境を越えれば、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムなど、ゆったりと観賞できる素敵な美術館が沢山あります。スイスにご旅行の際には、是非訪れてみて下さい。




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