天空の城『ホーエンツォレルン城』
ホーエンツォレルン城は、テュービンゲンから南へ20キロ、海抜855mのホーエンツォレルン山の山頂にそびえています。この城は、1701年から1918年に現在のドイツ北部からポーランド西部を支配したプロイセン王国(1701年~1918年)の王家ホーエンツォレルン家の発祥の城。プロイセン王家は、ドイツ諸王国を味方につけて勝利した普仏戦争後、1871年ドイツ皇帝家となりました。
城の歴史は11世紀に始まります。現在の姿になったのは1867年。1819年フリードリヒ・ヴィルヘルム4世がイタリアへの旅行中、この地を通り、当時廃墟となっていた一族のルーツの城の再建を命じたそうです。
城内の家系図の壁画の部屋や、書斎、寝室、サロン、そしてプロイセン王家の歴史的遺産が溢れている宝物室には目がくらみます。現在も城は子孫の王子が所有して、たまに滞在しているそうです。当地では気さくな人柄で人気があります。城内には雰囲気のあるレストランや、中庭にはカフェもございます。城からの眺望をご堪能ください。
公共交通機関でのアクセスが難しいため、ガイド付きの専用車での訪問をおすすめします。
断崖に建つ妖精の城『リヒテンシュタイン城』
ホーエンツォレルン城から東に40キロ、シュヴァーベンアルプと呼ばれる森の断崖絶壁にそびえるリヒテンシュタイン城。
城の起源は12世紀。主は時代によって変わります。この城の所有者となったヴュルテンベルク大公が、ドイツロマン派の作家ヴィルヘルム・ハウフの中世騎士物語「リヒテンシュタイン」の世界に憧れて、建築家ハイデロフの力を借り、1837年に再現したお城です。中世の世界を体感できる貴重なお城ですので、ご興味あれば是非ご訪問ください。
リヒテンシュタイン城も公共交通機関でのアクセスが難しいため、ホーエンツォレルン城と同日に専用車で行かれることをおすすめします。
ルートヴィヒ2世ゆかりの城
バイエルン王ルートヴィヒ2世の城で一番有名なのはノイシュヴァンシュタイン城ですが、その他のゆかりの城をご紹介します。
《ニンフェンブルク城(Schloss Nymphenburg)》ミュンヘン(München)
ルートヴィヒ2世が誕生したニンフェンブルク城(妖精の城)は、王家の夏の離宮でその名の通りの美しさです。大戦で破壊されなかったので、ルートヴィヒ2世が誕生したお部屋を見ることができます。また、宮殿と並んで建つ馬車博物館には、ルートヴィヒ2世の愛用した、豪華絢爛すぎる黄金の馬車が展示されています。
《レジデンツ宮殿(Residenz München)》ミュンヘン(München)
バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮。ナポレオンがその華麗さに驚嘆したと言われています。ルートヴィヒ2世が住んだ記録はありませんが、潤沢な財政を物語る豪華絢爛な居城を是非ご覧ください。現在は、宮殿内のキュヴィリエ劇場やホーフ教会、マックス・ヨーゼフ・ホール、ヘルクレス・ホールでコンサートが開催。中でもキュヴィリエ劇場は、16才のルートヴィヒ2世がワーグナーの楽劇「ローエングリン」を観劇し、ワーグナーに傾倒するきっかけになった劇場です。ご興味あれば、ご旅行に合わせて、宮殿内のコンサートお調べいたします。
《ホーエンシュヴァンガウ城(Schloss Hohenschwangau)》ホーエンシュヴァンガウ(Hohenschwangau)
ルートヴィヒ2世の父マキシミリアン2世が廃墟になっていた城を手に入れ、改築。ルートヴィヒ2世はこの城で、3歳下の弟オットー1世と幼少期を過ごしています。シュヴァンガウという地名は白鳥の里の意味で、白鳥伝説ゆかりの地。ホーエンシュヴァンガウ城内には、中世騎士伝説を描いた壁画が数多く描かれています。後の夢見がちなルートヴィヒ2世に多大な影響を与えたお城です。ミュンヘンから南西に列車で2時間でフュッセンに到着。フュッセン駅前から出ているバスで約10分のところに、ホーエンシュヴァンガウ城とノイシュヴァンシュタイン城共通のチケットセンターがあります。
《ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)》ホーエンシュヴァンガウ(Hohenschwangau)
幼少の頃から憧れた中世騎士伝説の世界を実現化するため、ホーエンシュバンガウ城から1キロほど離れた高台に、1869年24歳で築き始めました。築城の指揮を執らせたのは、建築家ではなく宮廷舞台芸術の画家でした。1886年未完ながらも住み始めたルートヴィヒ2世は、同年6月11日、精神病と診断され、ベルク城に幽閉されてしまいます。王がこの城に居住できたのは、半年もなかったそうです。
《リンダーホーフ城(Schloss Liderhof)》エッタール(Ettal)
ルイ14世を崇拝するルートヴィヒ2世は、ヴェルサイユ宮殿の大トリアノン宮殿に似せて、リンダーホーフ城を築城。彼が作らせた3つの城のうち唯一完成した城です。玄関ホールにはルイ14世の騎馬像が置かれています。人間嫌いの王は、食事中も召使いに見られることを拒み、1階で調理した料理を2階にテーブルごと持ち上げる魔法の食卓を作らせました。ミュンヘンから列車で南に2時間弱のオーバーアマガウからバスで30分です。
《ヘレンキムゼー城(Schloss Herrenchiemsee)》キム湖(Chiemsee)
ルートヴィヒ2世がリンダーホーフ城完成後、33歳の時にヴェルサイユ宮殿を模倣して築城させ始めた城で、王の死により未完成で終わっています。ヴェルサイユ宮殿よりも200年新しいこの城は、トイレや噴水など最新技術が導入され、完成した折には本家ヴェルサイユ宮よりも快適な城となっていたはず。この城にも魔法の食卓の仕掛けが見られます。場所は、ミュンヘンから列車で東南に1時間でキムゼー(キム湖)畔のプリーン。そこから遊覧船で20分のヘレンインゼル島に建っています。
お城ではないですが...ルートヴィヒ2世が眠る
《ミヒャエル教会(St.Michael Kirche)》ミュンヘン(München)
ルートヴィヒ2世の棺はミュンヘン市内のミヒャエル教会の地下墓所で見ることができます。ミヒャエル教会は、ルネサンス様式が美しいカトリック教会。ルートヴィヒ2世の棺の前には、いつもお花が絶えません。(地下墓所は日・祝は休みです)また、毎週日曜9時から、オーケストラとコーラス付きのミサが行われています。
ニュルンベルク『カイザーブルク城』
ニュルンベルク駅から徒歩20分。丘の上にそびえたつカイザーブルク(Kaiserburg、皇帝の城)は、11世紀から16世紀までの実に500年間、神聖ローマ帝国の全ての皇帝が一度は居城とした中世ヨーロッパ史上大変重要な城です。
城にはかつてに見張り塔である30mの高さのジンヴェル塔があります。塔からはニュルンベルクの赤茶色の屋根の旧市街が一望。ニュルンベルクは、ナチス党大会が1933年から1938年開催された党の重要な街であるため、連合軍によって街の90%以上が破壊されますが、戦後、破壊前の美しい街並みが再現されました。
ニュルンベルクは、現在はバイエルン州ではミュンヘンに次ぐ第2の都市です。ワーグナーの歌劇(ニュルンベルクのマイスタージンガー)、ドイツ最大のクリスマスマーケットの会場として、また画家アルブレヒト・デューラーの生誕地としても知られています。名物の焼きソーセージやレープクーヘンというスパイスたっぷりの焼き菓子をどうぞお試しください。
ニュルンベルクはミュンヘンから列車で片道1時間10分(直通)。ミュンヘンからご自身で日帰り旅行も可能です。
ドイツ最古の大学がある街『ハイデルベルク城』
ライン川の支流、ネッカー川に沿いに広がるドイツ最古(1386年創立)の大学があるハイデルベルク。ハイデルベルクは、ゲーテや詩人ヘルダーリン、ショパンといった多くの芸術家が訪れ、その美しさを称えています。
ハイデルベルク城は13世紀建立。17世紀のプファルツ継承戦争で破壊。一部廃墟のままですが、世界一大きいワイン樽やワインの試飲、その前で写真を撮ったカップルは幸せになるという「エリザベス門」など見どころの多い城。フリードリヒ館のテラスからは、赤屋根の街並みとネッカー川、緑濃いハイリゲンベルクの森が一望できます♪
旧市街の中心、聖霊教会の向かいにあるホテル「Zum Ritter St. Georg ツム リッター ザンクト ゲオルク(別名 騎士の家)」はハイデルベルクで現存する最古(1529年建立)の住宅で、お部屋は新しく快適ですが、ホテル内は中世の雰囲気があります。1Fには、おいしいドイツ料理で評判のレストランがあります。
アイゼナハ『ヴァルトブルク城(世界遺産)』
ドイツ中央部チューリンゲンの森に抱かれるように佇む古都アイゼナハ。バッハの生誕地としても知られています。アイゼナハの小高い丘の上に建つヴァルトブルク城。一見地味なこの城は、タンホイザー歌劇の歌合戦や聖女エリザベート妃、ルターの聖書ドイツ語訳など、ドイツの文化・精神史上きわめて重要な城です。
11世紀に築城された城では13世紀初め、当時のヘルマン1世が、諸国の宮廷を遍歴して歩いていた多くの騎士詩人のパトロンとなり、城の広間で歌合戦を行わせました。この歌合戦をもとに、数々の伝説が生まれています。ワーグナーもこの題材をもとに、歌劇「タンホイザー」を作りました。城では歌合戦の間で当時を偲ぶことができます。
歌合戦の主催者ヘルマン伯の子息に1221年14歳でハンガリーから輿入れした王妃エリザベート。1227年夫の死後ヴァルトブルク城を追われた王妃は、マールブルクに施療院を立てて貧者や病人の救済に尽くし、24歳という若さで亡くなりますが、病気の治癒で奇跡を起こしたとして聖人に列せられます。城内にはモザイク画が美しい華麗なエリザベートの間がございます。
時代は下って16世紀。マルティン・ルターが1522年2月、新約聖書をギリシャ語原典からドイツ語に翻訳を完成。遡って1517年、ルターはヴィッテンベルクの城教会の扉に、贖宥状反対の95か条の提題を貼り、宗教改革を始めていました。ローマ教皇に破門されたルターは、ザクセン選帝侯に匿われ、ヴァルトブルク城に身を隠しながら、わずか3か月でドイツ語に翻訳し民衆に読めるようにしました。ルターが偉業を成し遂げた部屋が、今も保存され、当時の様子を窺うことができます。
ドイツ文化の源流のお城を訪れてみませんか?
騎士の食事(リッターマール)
ドイツ国内の城では、不定期で「騎士の宴(リッターマール)」という中世の宴が開催され、人気を博しています。
《ライヒスブルク城》
ライン川支流のモーゼル河畔のワインの町コッヘム。モーゼル川を見下ろす丘にそびえるライヒスブルク城。12世紀に神聖ローマ帝国の管轄となったことから「ライヒスブルク(帝国城)」と呼ばれています。不定期で、金曜と土曜の夜に「騎士の宴」を開催。中世の衣装に身を包んだ演者が、中世の料理とワイン、中世の歌や余興でおもてなし。観光客の皆さんと和やかな雰囲気で宴はすすみます。
《ホルンベルク城》
ネッカー川の支流のホルンベルク城。ホルンベルク城は、ゲーテの戯曲「鉄腕ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」で知られる実在した騎士「鉄腕ゲッツ」が晩年を過ごしたお城です。現在はホテル&レストランとなっており、美味しい料理と上質なワインを出すことで人気です。こちらでも不定期に騎士の宴を開催。城から見下ろすネッカー川の眺めも美しい城です。
《トレンデルブルク城》
グリム兄弟がの街カッセルから北に30キロ。メルヘン街道のちょうど真ん中に位置する14世紀築城のトレンデルブルク城は、グリム童話「塔の上のラプンツェル」の舞台となった城。現在ブルクホテル・トレンデルブルクとして営業しています。城には高さ40メートルの塔があり、ラプンツェルが金色に輝く長い髪を塔の上から垂らし、恋人を塔に登らせたというお話があります。スタッフが親切で、一人で宿泊しても大変快適と評判のこちらのホテルでも、不定期に騎士の宴を開催しています。
ご興味あれば、開催日をお調べし、予約いたしますので、お問い合わせください。
中世騎士祭(リッターフェスト)
写真©Kaltenberger Ritterturnier公式HP
日本で戦国時代の武将達が人気のように、ドイツでも中世騎士は大人気です。騎士のコスプレを楽しむドイツ人は多いとか...中世騎士の世界をドイツ人と共に楽しんでみませんか?
《カルテンベルク》
ミュンヘンから西に40キロ、バイエルン王家のカルテンベルク城がそびえるカルテンベルクで、ドイツ最大の規模を誇る中世騎士祭が毎年7月に開催されています。3週にわたる金土日に開催。町の人々も子供から年配まで中世の衣装に身を包み、辻音楽師や吟遊詩人が雰囲気を盛り上げます。
《ロンネブルク》
フランクフルトから東に40キロ。ロンネブルクではイースターの時期は中世の市場、聖霊降臨祭(5月末か6月最初の日曜日)の時期には騎士祭が催されます。会場となるロンネブルク城内に一歩踏み入れたら、そこはもう中世の世界。騎士の鎧、甲冑や中世風のドレスを着た人々が行き交い、炭火で焼く中世のパンや豚肉、怪しげな香草を売る店が数多く出店。
上記はどちらもアクセスが難しいので、専用車で行かれることをお勧めします。
《ランツフート》
ミュンヘンから直通列車で北東に50分。日本ではあまり知られていませんが、とても魅力的な街ランツフートでは、4年に1度「ランツフーター・ホッホツァイト(Landshuter Hochzeit = ランツフートの結婚式)」と呼ばれる祭典が開催され、街中が華々しく盛り上がります。ランツフートの結婚式とは...1475年、当時の君主ゲオルク公がポーランドから王女ヤドヴィガを妃として迎え、ランツフートで結婚式が盛大に執り行われました。この結婚式の様子を再現した盛大なパレードがこのお祭りのメインイベントとなっています。毎週日曜日に行われる花嫁行列、演劇、中世音楽のコンサートのほか、中世騎士の騎馬試合が行われます。。