
○~モンヴェルニエ~モラール峠
平地では集団が自然にできる。補給を定期的に摂って集中もできていた。
そして「靴ひも」モンヴェルニエのつづら折りへ。道幅は狭い。上も下も自転車の長い列が見えるのはグランドンの時とは違う、面白い光景だった。だが、暑い! 10時30分 を過ぎ、本格的な暑さとの戦いも始まっていた。なにせ風景面白いのだがそれについて喋る気が起こらない。と。「アツイゼ、コノヤロー!」って叫びながら走 るゴリラのようなオジサン選手に抜かれた。逆ギレしてる、でも速いンだよな。暫くして上の方から再びその選手の叫び声が聞こえてきて、横の選手と顔見合わ せて笑ってしまった。777mのモンヴェルニエの上の方は両側に岩の壁がありその間を進む。ツールの公式ガイドブックの表紙になるだけの事はある。その後の小さな村も印象的だった。
一度下って幹線道路を走り、モラール峠への登りが始まった。とにかく今日は非常に熱い! 沿道に住む人たちが水を分けてくれるのがありがたかった。やがて道は森で日陰となったが、自分的にはこの区間が一番しんどかった。そんな中、30代と思しき東洋人の選手が隣に来たので、どこから来たの?と聞くと韓国の人だった。韓国人のエントリーは彼一人だという。「僕は歴史を作っているんです」彼は青年らしい自負を示すとスピードを上げて去っていった。後日リザルトを見たら9時間台でゴールしていた。本当に歴史を作ったね。カン君、おめでとう。
次の給水所には長い列ができていた。後5、6km走れば食事もある補給地点なのだが、水が欲しかったので、その列に並ぶ。自分の順番が来るまでずいぶん時間がかかった。
給水して気持ちが落ち着くと再び元気が湧いてきた。
101km地点アルビエ・ル・ヴューの補給所では食べ物を仕入れて、すぐに出発した。モラール峠は103km地点ですぐ近くだ。
○~クロワドフェール峠~ブールドワザン
次の峠までは20km。 この辺りで前輪がスローパンクしているのに気付いた。タイヤに目立った傷はなかったが、バルブが少し曲がっていた。そういえばスタート地点に移動する時よ ろけてぶつかって来た選手がいた、その時かもな。チューブを交換しようとも考えたが、峠ではクリスチャン監督が待っていてくれている。ポンプで目一杯空気 を入れこのまま進む事にした。
5人位の小集団になったり、単独になったりしながら走って行く。自分がだいぶ疲れているのが分かっていた。116km地点のサン・ソルラン・ダルヴに着くとパン屋さんの前で、息子と同じ年頃の男の子が応援してくれていて、思い切って少し休む事にした。塩気が欲しくてバゲットサンドとコーラを買った。家族経営の店で、男の子は店主のお孫さん。俺もそうだけど、彼の応援で次々に選手達が止まってコーラや菓子パンを買ってゆく。凄腕セールスマンなのだった。
さあ、クロワドフェール峠へ! 気持ちは引き締まったものの、村を出ると勾配が12~15%で、足がピクッと来た! 攣る前兆だ。こりゃしばらく静かにやり過ごさなきゃと、軽いギアで慎重に進んでいると、道端で休んでいる近藤さんと加藤さんに会った。しかし止まったらツルかもしれないので、挨拶しただけでそのまま進む。
勾配はその後緩くなったが、暑さと疲労で歩き出す選手が増えてきた。高度が上がり、下界を見れば絶景である。ガードレールなんて無い。
峠2km手前。横に並んできた自転車を見たらフラットハンドルだった!思わず「えっ そんなハンドルで上がって来たん?!」と話かけると、
「ああ、このハンドルの事? 別にドロップと変われへんよ、一緒やで」とおっしゃる。
「えー? 絶対ドロップの方が楽やって!」
「自分、日本人やったら、ヒロシゲ知ってるやろ? ヒロシゲ・アンドー」
「へっ? 浮世絵の安藤広重のこと? 彼は日本の誇りです」
(余りの展開の違いに戸惑いながら、とりあえず合わせてみる。この人俺と同じB型だな)
「そう、俺、あの人の絵の大ファンやねん。構図とか、色使いが素晴らしい、特にあの青い色!それでああでこうで・・・」
オランダ人のポールさんは俺の知らないムズカシイ単語も交えながら、とうとうと広重論を展開してくれた。
まさか、アルプスの峠でそんな話を聞く事になるなんて。人生一寸先はわからない。
峠で、クリスチャン監督に前輪を交換してもらい、補給をもらう。時刻は既に17:30。ブールドワザンの制限時間18:15に間に合わないのは確実だった。たとえ足切りにあってもゴールまで自分の足で行くと、意志を伝える。すると追加の補給が渡された。
腰を押してもらいながら加速して再出発! プロみたいでちょっと嬉しかった。
その4へ続く・・・