
【Les Contamines30.7km ~ Les Chapieux 49.4km】
Les Contamines(仏:コンタミン30.7km地点:標高1,153m)22時34分(961位:4時間33分57秒)に到着した。まだまだ心身ともに元気だ。どこにも違和感はない。ここでの応援もすごかった。


晩遅いと言うのに子供たちも多く応援してくれた。皆が「Allez Allez Allez(アレ アレ アレ)」(行け 行け 行け)、「Buravo !!(ブラボー)」と大合唱してくれる。まだ序盤ではあるが、SEKAINO.Doiは前半調子が上がらず、ここコンタミンでダウンし、1時間ほど動けなかったと後で聞いた。それだけUTMBは手ごわいのか。恐ろしくなる。彼は500番くらいまで順位を落としたが、この後驚異の追い上げをみせ40位そこそこでゴールしたとのこと。やはり、ものが違うわ!!
軽く栄養補給し早々にASを後にした。Notre-Dame教会(34.6km地点:標高1,221m)までは、だらだら登りが続き進みやすい。ここを超えると今コースの最初の山岳エリアに突入する。教会を超えると本格的な登山に変わってきた。ソイル道から徐々に岩が増えてきた。歩くにはさほど影響しないが登りの角度が明らかにきつくなってきた。ストックをしっかり突き一歩ずつしっかり登ることを心がけた。自分はペースアップしていないつもりだが、周りのスピードがガクンと落ちてきた。やがて森林限界を超え周りは草と岩の景色に変わり日付が変わろうとしていた。

ボンノム峠中腹のLa Balme(仏:バルム38.8km地点:標高1,703m)8月27日(土)0時04分(699位:6時間03分22秒)に到着した。あまり空腹感もないので軽く栄養補給してすぐにASをでた。さらに登りはきつくなる。山岳登山は延々と彼方の山頂まで続く。暗闇の中、臥龍廊を登る白龍のごとくヘッドライトの列がゆっくりと動く。人工的な光ではあるが大自然に溶け込んでいる。しかし、Saint Gervaisから20km以上続く登りにだんだん身体が蝕まれ足が削がれていくのがわかる。山頂が近くなる岩場の登りでMr.Decoと再会できた。ほんの少し疲れているようで、小休止し給食するようだった。僕は軽く声をかけて先を急いだ。かなり登った頃、Ref.Croix du Bonhomme(仏:ボンノム峠44.2km地点:標高2,439m)1時29分(627位:7時間28分14秒)に到着した。体力温存のつもりだったがこの登りでかなりの体力を消耗してしまった。まだまだ4分の1だ。ここで疲れているようでは完走できない。一抹の不安がよぎる。
峠の頂きからは5kmで900m下る急勾配だ。山頂付近は足場が悪くガレている。前半で足をくじいては元も子もないので、慎重にちょこちょこ走りで下る。足場が悪いと大腿四頭筋への負担がかなり増える。それでもできる限り体力、筋力を温存し省エネ走法に徹する。川面に浮かぶ木葉のように流れに身を任せて下る。やがてガレ場から比較的走りやすい草原と林のような下りに入る。ここも流れに任せて下る。下界には、街とASの灯りが見えてきた。
【Les Chapieux49.4km ~ Courmayeur 78.8km】
Les Chapieux(仏:レシャビュー49.4km地点:標高1,554m)2時12分(622位:8時間12分00秒)に到着した。このASでも軽食とドリンクを補給した。ここではペツルがライトの電池交換や修理を無償サービスしていた。僕のライトは問題がなかったので電池交換も特にせずスルーした。もう一つ、スマホのチェックがあった。国際ローミング通話確認と大会指定アプリのダウンロード確認である。現地のおばちゃんになかなか英語が通じず5分以上すったもんだした。その横をスタートで先に行かれたMr.Uenoと再会した。結構疲れがきている様子だ。一緒に走り出そうとするが歩いたままである。先が長いので走るよう促しても走れないので歩くとのことだった。僕はここまでかなり抑えてきたのでゆっくりと走ってこのASを後にした。
ここからCourmayeurまでの3つの峠が前半一晩目のメインディッシュになる。特に、フランスとイタリアの国境であるCol de la Seigne(セーニュ峠)では、これまで数々のドラマが展開されたと聞いている。2年前、UTMF覇者である原良和選手がセーニュに沈んだ。ある年は吹雪で100mileレースが成立しなかった等々。Les ChapieuxからCol de la Seigneまでの10kmで一気に1,000m登らなければならない。
Les Chapieux のASをでてしばらくは暗闇のわずかに登る舗装路をゆっくりではあるが気持ちよく走った。どのくらい走ったかはわからないがやがてトレイルに入った。セーニュ峠の中腹に到達するまでに、足元は土と石が結構でてきた。前半の登りはそんなにきつくないので、ストックをついて確実に足を進めた。ボンノム峠の登りと同じく、臥龍廊を登る白龍のごとくヘッドライトの列がゆっくりと動く。でも、このセーニュ峠では白龍は途切れ途切れになっていた。とっくに森林限界を超えた中腹で標高2,000mあたりから石が岩に変わり、大きな岩の間を縫って登って行く。所々岩の間から水が流れて登りにくい。かれこれ2時間近く登り続けている。頂上が近づくとさらに急峻になり岩の間から浮石や大岩の上を進んだ。これに寒さも加わり身体の動きが鈍るのがわかる。まわりのペースはかなりダウンしランナーたちの疲労も激しい。
ここでなんとストラーダバイシクルのジャージを着ているランナーと遭遇した。久々の日本人だ。「どこのストラーダですか?」と声をかける。「滋賀県ですよ」と返事があり、「奥村さんですよね?」と訊ねられた。「何で知ってるの?」と驚いて聞き返す。「大津のShigeさんから奥村さんのことは聞いてますよ!!」。そう言えば、シガウマラのShigeがUTMBに滋賀県からもう一人参加するという話を思い出した。しかも大津市瀬田在住の人とこんなフランスの山奥で遭遇するとは、これも何かの縁である。「一緒に行こう」と声をかけたが、体力の限界でこれ以上スピードが上げられないとのだったので、僕は先を急いだ。ちなみに彼の名はMr.Yamadaである。帰国後、彼がシガウマラに入族したことは説明するまでもない。
景色は雪と岩の殿堂と化していた。雪渓と大岩の世界をゆっくり確実に登る。ふと半月前の北アルプス立山ソロ合宿を思い出した。「あの時も雪と岩の殿堂を登ったなぁ」。合宿の成果が少しは役に立っていると言い聞かせ登り続けた。このトリッキーなコースの連続に睡魔はまったく感じず、Col de la Seigne(仏伊国境:セーニュ峠59.7km地点)4時21分(531位:10時間20分43秒)に到着した。風は弱いがかなり冷える。僕はモンベルのバーサライトを着込んだ。山頂からはこれまたトリッキーな急峻な岩場と雪の下りである。真夜中でヘッドライトのみ。安全第一で足場を確認しながら全神経を下ることに傾注し確実に走り下りた。浮石の連続で選手たちの何人かは転倒している。さらに、雪解け水がトレイルに流れ込んでいる所もありスリッピーになっている。1kmくらい下るとセーニュ峠よりもさらに急峻な登り返しが待ち構えていた。この登り返しは去年から新たに設定されたコースとのこと。これがかなりの難所だ。登り返しから岩と草と小川がミルフィーユのごとく折り重なり、シューズがずぶ濡れになり滑り、登りの足を妨げる。クライマーとなりCol des Pyramides Calcaires(伊:62.1km地点 標高2,563m UTMB最高地点)にやっとの思いで登頂した。ちなみに2年前までは、UTMBの最高地点はGrand Col Ferret(伊瑞国境:フェレ峠 標高2,525m)だった。
UTMB最高地点からは4kmで一気に600m下る劇坂が待ち構えていた。セーニュ峠ばりの岩場と浮石のトリッキーな区間を下り続け、やがて草原と岩の下りをスイッチバックを繰り返しながら下る。僕の右手にはオリオン座が山稜に腰掛けようとしている。日本では冬の南空に輝くオリオン座。イタリアでは夏でもオリオン座が見えるのか。方角もよくわからない。後の夜明けでオリオン座は東南東の空に輝いていたとわかる。左手に目をやると巨大な山群が圧し掛かっている。久しぶりの“景峻”との再会だ。フランス側から“景峻”をぐる~とイタリア側にまわってきた。フランス側からの“景峻”よりも間近で迫ってきて漆黒の黒と深い縦皺を纏っている。オリオン座のやや前方の稜線がほんの少しオレンジ色に染まってきた。暗闇が一枚一枚丁寧に剥がされていく朝またぎを“景峻”と肩を並べ共有した。
下りで酷使してきた大腿四頭筋はとっくに疲労していた。一昨年痛めた左腸脛靱帯に違和感を覚え始める。やばい、まだ100km以上あるのにここで腸脛靱帯痛めたら全行程歩きになってしまう。それより激痛に耐えかねDNF(Did Not Finish 途中棄権)もあり得る。なんとかごまかしながらも下る。絶景の中、黎明の頃Lac Combal(伊:ラックコンバル65.8km地点:標高1,970m)5時58分(549位:11時間57分25秒)に到着した。夜明け前で手がかじかみ寒い。吐く息は真っ白だ。気温は零下ではないがそれ近くに冷え込んでいる。ASで熱いコンソメスープとフルーツポンチを食べる。このフルーツが甘く格別に旨かった。
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その5に続く・・・
Staff Comment
いよいよ中盤から後半、読み進めるごとにあの日の緊張感がよみがえります!
その5が楽しみです!!