
身体が冷えないうちにLac Combalを発つ。暫く山岳の砂利道で真直ぐな平地が続く。
前方やや右手からゆっくりと陽が明けてくる。“景峻”と僕との間にはコンバル湿原が広がっていた。さらにゆっくりとした足取りで進むと湿原を横目に登りのトレイルに入る。草原と岩の綺麗な絶景トレイルだ。ランナー達も足を止めて朝陽と山々をバックに写真を撮っていた。
ふと下を望むと“景峻”と僕の間は切り立った渓谷に様相を変え、その深い深い渓谷には、数えきれないほどのダイオウイカが眠っていた。
ここはダイオウイカの寝床だ。彼らを起こさないよう静かに通り過ぎよう。
険しいが気持ちよく上り詰めるとArrete du Mont-Favre(伊:モンファーブル70.1km地点:標高2,417m)7時09分(538位:13時間08分26秒)に到着した。山頂には日本人のスタッフがいたので朝陽に染まる“景峻”とダイオウイカと僕とで写真を撮ってもらった。後々このダイオウイカの大群が大暴れするとは誰が想像しただろうか?

Arrete du Mont-FavreからCourmayeurまでは約9kmの長い下りが続く。
夜明けの高原を放牧された牛の間を縫うように気持ちよく下る。よく見るとトレイルには牛の糞が散乱している。
一応踏まないようには進むがいくつかは踏みつけたような気もする。セーニュ峠とは違いソイルで走りやすい下りだ。しかし足はかなり消耗してきた。左腸脛靱帯が違和感から痛みに変わってきた。大腿四頭筋の温存と左腸脛靱帯をかばいながらゆっくりと下る。
肩甲骨周りも固まってきたので下りながらストレッチ等でほぐす。この先のことを考えてCourmayeurまでは景色を楽しみながら身体をほぐすことに徹しよう。
次々とランナーにパスされるが気にせず割り切ってのんびりと下った。小一時間下り続けると遥か眼下にCourmayeurのレトロな街並みが見え隠れしてきた。なんて綺麗な街なんだ !! 思わず心の中で叫んだ。そのまま下り続けるとスキー場のゲレンデトップあたりに出てきた。
WS(ウォーターステーション)で軽く水分を補給しすぐにさらに下る。ゲレンデを横切るように林道の砂利道を下る。Courmayeurは見えるけれどもなかなか近づいてこない。ゲレンデを抜けると森林の中のシングルトラックを下る。数日間降雨がなかったようでランナー達で土埃が舞う。ボトルの水でうがいしながら土埃の森林を下る。この下りが結構急勾配で左腸脛靱帯が痛む。やっとのことで石畳にでた。
夜明けの高原を放牧された牛の間を縫うように気持ちよく下る。よく見るとトレイルには牛の糞が散乱している。
一応踏まないようには進むがいくつかは踏みつけたような気もする。セーニュ峠とは違いソイルで走りやすい下りだ。しかし足はかなり消耗してきた。左腸脛靱帯が違和感から痛みに変わってきた。大腿四頭筋の温存と左腸脛靱帯をかばいながらゆっくりと下る。
肩甲骨周りも固まってきたので下りながらストレッチ等でほぐす。この先のことを考えてCourmayeurまでは景色を楽しみながら身体をほぐすことに徹しよう。
次々とランナーにパスされるが気にせず割り切ってのんびりと下った。小一時間下り続けると遥か眼下にCourmayeurのレトロな街並みが見え隠れしてきた。なんて綺麗な街なんだ !! 思わず心の中で叫んだ。そのまま下り続けるとスキー場のゲレンデトップあたりに出てきた。
WS(ウォーターステーション)で軽く水分を補給しすぐにさらに下る。ゲレンデを横切るように林道の砂利道を下る。Courmayeurは見えるけれどもなかなか近づいてこない。ゲレンデを抜けると森林の中のシングルトラックを下る。数日間降雨がなかったようでランナー達で土埃が舞う。ボトルの水でうがいしながら土埃の森林を下る。この下りが結構急勾配で左腸脛靱帯が痛む。やっとのことで石畳にでた。
街に入ってすぐに水飲み場があった。ここでうがいをし顔を洗ってさっぱりした。石畳と古い街並みをすり抜けていく。ここの街並みは全て石造だ。家々の壁も屋根も煙突も全て石造で組み上げてある。木材が取れないのか?それとも昔の火山から住居を守るためなのか?いずれにせよ日本にはないレトロ感でいい感じだ。
【Courmayeur78.8km ~ Grand Col Ferret100.7km】

街並みを堪能しているうちにCourmayeur (伊:クールマイヨール78.8km地点:標高1,195m)8時39分(577位:14時間38分59秒)に到着した。
“景峻”を一晩かけてフランスからイタリアへぐるっと南側からめぐってきた満足感が一瞬漂った。
ここCourmayeurは UTMB最大のASである。ランナー達は、疲労感の中でも、待ち構える家族、仲間に会えて満面の笑みだ 。
まさに砂漠のオアシスだ。一応、僕にもFOE.AzumiとTD.Ninoが待ち構えてくれていた。かなり嬉しかった。TD.Ninoに左腸脛靱帯の違和感を訴えると、すぐに各部位のマッサージを促してくれた。頸、肩、肩甲骨、腕、腰、足等々。
TD.Nino曰く、腸脛靱帯だけをマッサージしてもあまり効果はなく全身の硬直や張りをほぐす必要があるとの説明であった。実に説得力のある説明だ。
しかし、硬直した僕の身体にはこのマッサージが地獄のように痛気持ちよかった。あまりにも痛そうな顔をするので現地の新聞記者に写真を撮られた。
マッサージを受けながら、FOE.Azumiが作ってくれたおにぎりと梅干をほおばり味噌汁をすすった。日本人の僕の身体に染み渡った。ここで20分くらい休憩しリフレッシュをはかった。シャツも“タカトラ”からMr.Seoriデザインの“シガウマラ”Tシャツに着替えて後半戦に臨む。
仲間たちの動向を確認した。皆、順調に進んでいるとのことである。
特に、SEKAINO.Kaoriは入賞を狙える位置でかなり好調のようである。シーズン前半の貧血による不調から完全に脱しているようで安心した。一方、SEKAINO.Doiの調子が悪いとのことで、もしかしたらDNFもあり得るとのことであった。昨年フェレ峠に跳ね返されたMr.Kurianは制限時間と闘いながらも順調に進んでいると聞き安心した。TD.Ninoのマッサージはまさにゴッドハンドであった。今まで痛みすら感じていた左腸脛靱帯がすっきりとした。疲労はあるものの全身がすっきりと復活した。
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“景峻”を一晩かけてフランスからイタリアへぐるっと南側からめぐってきた満足感が一瞬漂った。
ここCourmayeurは UTMB最大のASである。ランナー達は、疲労感の中でも、待ち構える家族、仲間に会えて満面の笑みだ 。
まさに砂漠のオアシスだ。一応、僕にもFOE.AzumiとTD.Ninoが待ち構えてくれていた。かなり嬉しかった。TD.Ninoに左腸脛靱帯の違和感を訴えると、すぐに各部位のマッサージを促してくれた。頸、肩、肩甲骨、腕、腰、足等々。
TD.Nino曰く、腸脛靱帯だけをマッサージしてもあまり効果はなく全身の硬直や張りをほぐす必要があるとの説明であった。実に説得力のある説明だ。
しかし、硬直した僕の身体にはこのマッサージが地獄のように痛気持ちよかった。あまりにも痛そうな顔をするので現地の新聞記者に写真を撮られた。
マッサージを受けながら、FOE.Azumiが作ってくれたおにぎりと梅干をほおばり味噌汁をすすった。日本人の僕の身体に染み渡った。ここで20分くらい休憩しリフレッシュをはかった。シャツも“タカトラ”からMr.Seoriデザインの“シガウマラ”Tシャツに着替えて後半戦に臨む。
仲間たちの動向を確認した。皆、順調に進んでいるとのことである。
特に、SEKAINO.Kaoriは入賞を狙える位置でかなり好調のようである。シーズン前半の貧血による不調から完全に脱しているようで安心した。一方、SEKAINO.Doiの調子が悪いとのことで、もしかしたらDNFもあり得るとのことであった。昨年フェレ峠に跳ね返されたMr.Kurianは制限時間と闘いながらも順調に進んでいると聞き安心した。TD.Ninoのマッサージはまさにゴッドハンドであった。今まで痛みすら感じていた左腸脛靱帯がすっきりとした。疲労はあるものの全身がすっきりと復活した。
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人は旅が好きだ。何故なんだろう? 普段とは違う非現実的な異空間に身を置くことができ、刺激的な体験や出会いがあるからか? それも一つの理由だろう。旅はぐるっと巡って元の所に戻ってくる。旅は帰る場所があるから楽しい。旅は出発した時点で我が家を目指しているから楽しいんだ。
一方通行の旅は恐ろしくて不安でどうしようもないだろう。UTMBは現実を超越しすぎた極めて刺激的な旅だ。ChamonixをStartした時点でGoalのChamonixを目指している。Chamonixから離れれば離れるほどChamonixに近づいている。世界中のトレイルランナーが夢中になっている。この先、僕にはどんな旅が待っているのだろうか。いよいよ後半戦へ。
一方通行の旅は恐ろしくて不安でどうしようもないだろう。UTMBは現実を超越しすぎた極めて刺激的な旅だ。ChamonixをStartした時点でGoalのChamonixを目指している。Chamonixから離れれば離れるほどChamonixに近づいている。世界中のトレイルランナーが夢中になっている。この先、僕にはどんな旅が待っているのだろうか。いよいよ後半戦へ。

僕は9時丁度にCourmayeurを発った。暫くは石造の古い街並みを堪能しながらゆっくりと進んだ。
2009年に鏑木毅選手がロストした街中をコースマークを辿りながらしっかり確認し進む。確かに山の中より街中の方が複雑でややこしい。道路を横断していきなり階段を登らせたりややこしい。はっきりとわかるのは眼前に立ちはだかる大きな山に向かっているということだけは確かであった。
そうこうしている内に街から徐々に田舎に入りやがてトレイルに入った。5km先のベルトーネ小屋を目指すことになる。でもいきなりの森林帯の劇坂だ5kmで800m登る勾配である。ガレていないのでストックをしっかり突けば比較的登りやすい。しかし、時間が経つにつれてジリジリと気温が上がってくる。このレースで初めて汗が頬をつたった。不格好だが手ぬぐいをキャップに挟み日除けをつくり登ることにした。山麓は森林でましだったが登るに連れて木々少なく低くなってくる。反対に日光はぎらぎらしてきて暑さが増す。劇坂と日差しのダブルパンチはリフレッシュした身体をすぐに蝕みだす。
2009年に鏑木毅選手がロストした街中をコースマークを辿りながらしっかり確認し進む。確かに山の中より街中の方が複雑でややこしい。道路を横断していきなり階段を登らせたりややこしい。はっきりとわかるのは眼前に立ちはだかる大きな山に向かっているということだけは確かであった。
そうこうしている内に街から徐々に田舎に入りやがてトレイルに入った。5km先のベルトーネ小屋を目指すことになる。でもいきなりの森林帯の劇坂だ5kmで800m登る勾配である。ガレていないのでストックをしっかり突けば比較的登りやすい。しかし、時間が経つにつれてジリジリと気温が上がってくる。このレースで初めて汗が頬をつたった。不格好だが手ぬぐいをキャップに挟み日除けをつくり登ることにした。山麓は森林でましだったが登るに連れて木々少なく低くなってくる。反対に日光はぎらぎらしてきて暑さが増す。劇坂と日差しのダブルパンチはリフレッシュした身体をすぐに蝕みだす。
やがて森林限界を超えると高原のRefuge Bertone (伊:ベルトーネ83.7km地点:標高1,979m)10時20分(462位:16時間19分42秒)に到着した。ここはWSであるが、結構なランナーが脱水症状や熱中症でダウンして小屋の日陰に寝そべっていた。僕も初めてほぼ2ボトル(1ℓ超)をこの区間で飲み干していた。
ボトルにドリンクを詰めてすぐにWSを発った。ここからは大高原を小刻みなアップダウンが続く。絶景のUTMBでも最も絶景を望める区間の一つである。2,000mの標高はあるとはいえ高原には遮るものがなく直射日光で暑い。まわりのランナーは暑さと疲労でかなりスピードダウンしている。中には足が攣ったり痙攣するランナーや立ち止まり嘔吐するランナーもでてきた。TD.Ninoのおかげで僕はゆっくりではあるがジョグで進むことができた。
僕の左側には白い“景峻”が黒いグランドジョラスへと連なっている。Courmayeur登山のメッカだけありすばらしい光景だ。僕の右側彼方に後半最難関のGrand Col Ferret(伊瑞国境:フェレ峠100km地点)が不気味にそびえているのがはっきりと見える。
ボトルにドリンクを詰めてすぐにWSを発った。ここからは大高原を小刻みなアップダウンが続く。絶景のUTMBでも最も絶景を望める区間の一つである。2,000mの標高はあるとはいえ高原には遮るものがなく直射日光で暑い。まわりのランナーは暑さと疲労でかなりスピードダウンしている。中には足が攣ったり痙攣するランナーや立ち止まり嘔吐するランナーもでてきた。TD.Ninoのおかげで僕はゆっくりではあるがジョグで進むことができた。
僕の左側には白い“景峻”が黒いグランドジョラスへと連なっている。Courmayeur登山のメッカだけありすばらしい光景だ。僕の右側彼方に後半最難関のGrand Col Ferret(伊瑞国境:フェレ峠100km地点)が不気味にそびえているのがはっきりと見える。

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これから待ち構えるフェレ峠に備え次のASであるArnuvaz(伊:アルヌーバ)までは、景色を眺めながら観光気分でリフレッシュすることにした。ストックを使って上半身をストレッチしほぐしたり、平地や下りでもアクセントつけながら、大股で走ったり小股でちょこちょこ走ったり、ゆっくり大股であるいたり小股で歩いたり等々、少しずつ使う筋肉を変えながら進んだ。ロングトレイルの場合、この走法は案外筋肉がほぐれて後半復活し長持ちする。
特に、意識した大股歩きは股関節のストレッチになり有効だ。同じ動きを長く続けるとストレスになり疲労につながるが、異なる動きを織り交ぜるとリフレッシュできる。他の人の参考になるかどうかはわからないが僕には有効なリフレッシュ方法だ。絶景の高原を10km以上小刻みなアップダウンを繰り返しながら進むと、眼下にArnuvazが見えてきた。地図上ではほんの少しの下りだが実際はかなり下界にある。トレイルは荒れていないが結構な下りである。草原と低木の林を淡々と体力を温存しながら下る。一旦下らせてからフェレ峠まで登り返させるのか。後半のメインディッシュだとしても豪華すぎる峠のフルコースだ。
特に、意識した大股歩きは股関節のストレッチになり有効だ。同じ動きを長く続けるとストレスになり疲労につながるが、異なる動きを織り交ぜるとリフレッシュできる。他の人の参考になるかどうかはわからないが僕には有効なリフレッシュ方法だ。絶景の高原を10km以上小刻みなアップダウンを繰り返しながら進むと、眼下にArnuvazが見えてきた。地図上ではほんの少しの下りだが実際はかなり下界にある。トレイルは荒れていないが結構な下りである。草原と低木の林を淡々と体力を温存しながら下る。一旦下らせてからフェレ峠まで登り返させるのか。後半のメインディッシュだとしても豪華すぎる峠のフルコースだ。
絶景の谷Arnuvaz (伊:アルヌーバ96.2km地点:標高1,786m)12時59分(479位:18時間58分50秒)に到着した。Courmayeurをでて4時間経っていたので軽く食事をした。ASをでてすぐに川があったので、川で頭、顔、腕、足を洗い冷やした。手ぬぐいを絞り頭に被せた。さあ、フェレ峠へ向けてスタートだ。Arnuvazの谷からはフェレ峠の頂きは望めなかったが果てしなく上にあることは確かだ。草原と岩の登りトレイルをストックをしっかり突いて登る。周りの登山者はほんとにゆっくり休憩しながら登っている。我々トレイルランナーも100km弱走ってきたので、登山者よりほんの少し速いスピードで歩く。僕はゆっくりながらも何人かをパスし順調に登る。
2009年鏑木毅選手がフェレ峠を越える時は気温5度で風雨だった。今日は暑くてほぼ無風である。気温は25度くらいか。森林限界を超えているので直射日光でとにかく暑い。周りの選手は夏なのに冷凍マグロとなり道端に転がり始めた。ボトルのドリンクとジェルを効率よく摂りながら脱水やミネラル不足に気を付けながら登り続ける。山頂の伊瑞国境には大きなテントが立っていると聞いていたがいっこうに見えない。1時間以上登り続けた頃やっと遠方に山頂らしきテントが見えてきた。まだかなり先だ。2009年優勝のキリアンはDVDでここをストックなしで早歩きとランの繰り返しで登っていた。やはり、あり得ないスピードだ。山頂が近づくと少しなだらかになってきた。ふつうなら走れる斜度になってきたがもう体力の限界だ。ストックを突いて歩くことが全力疾走だ。とにかく山頂までは止まらず行こう。それを眼前の目標に山頂を目指した。
2009年鏑木毅選手がフェレ峠を越える時は気温5度で風雨だった。今日は暑くてほぼ無風である。気温は25度くらいか。森林限界を超えているので直射日光でとにかく暑い。周りの選手は夏なのに冷凍マグロとなり道端に転がり始めた。ボトルのドリンクとジェルを効率よく摂りながら脱水やミネラル不足に気を付けながら登り続ける。山頂の伊瑞国境には大きなテントが立っていると聞いていたがいっこうに見えない。1時間以上登り続けた頃やっと遠方に山頂らしきテントが見えてきた。まだかなり先だ。2009年優勝のキリアンはDVDでここをストックなしで早歩きとランの繰り返しで登っていた。やはり、あり得ないスピードだ。山頂が近づくと少しなだらかになってきた。ふつうなら走れる斜度になってきたがもう体力の限界だ。ストックを突いて歩くことが全力疾走だ。とにかく山頂までは止まらず行こう。それを眼前の目標に山頂を目指した。

【フェレ峠に沈んだMr.Kuriyan】
Staff Comment
いよいよ後半戦に突入ですね! あの日の景色が手に取るように思い浮かびます。 早く私も同じ舞台に立ちたいと感じています。