1941年9月から始まったドイツ軍によるレニングラード包囲は900日間つづき、その間電気、水道、交通などの公共サービスは全て止まりました。
市民は激しい銃撃戦に加え、寒さや飢えに大変苦しみ、最終的に100万人近くの市民が命を落としたとも言われます。
それでもレニングラードは包囲に耐え抜き、後に英雄都市として認められました。
この状況下で生まれた芸術作品として、ショスタコービッチが市民を鼓舞するために作曲した「レニングラード交響曲」がよく知られています。
サンクトペテルブルグにある「レニングラード包囲と防衛博物館」では、包囲のさなかのレニングラード市民の記録を見ることができます。
当時の写真やプロパガンダポスター、市民の用いた日用品からは当時の状況の厳しさが感じられます。
文化芸術を感じる 2大帝都への旅