杉原千畝とリトアニア【リトアニア情報】


1939年、外交官だった杉原千畝がカウナスの日本領事館に赴任しました。当時ヨーロッパではナチスが勢力を広げ、ユダヤ人への迫害が増大。国外脱出を図るユダヤ難民が、一時避難していたリトアニアから入国ビザを必要としない南米スリナム、キュラソーなどのオランダ領への逃亡を目指します。ナチスによるユダヤ人迫害は激しさを増し、ドイツ勢力が広がるにつれてユダヤ避難民は激増してきましたが、彼らの受け入れ先はほとんどなくなっていました。さらに1940年4月から再び始まったナチス・ドイツの急進撃で、ヨーロッパは西も南もふさがれてしまいます。そして、1940年7月18日の早朝、千畝にある決断を迫られる出来事が起こります。ポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ避難民が、閉鎖間際の日本領事館に通過ビザを求めて大勢殺到しました。緊迫した中、本省と連絡を取り合う千畝。苦悩の末、「発給要件を満たさぬ者へのビザ発給はならぬ」という本省の命令に背き、命の危機が迫るユダヤ人に対し、「首になっても構わない、人道上拒否できない」と、条件をつけずにすべてのユダヤ人に対し、ビザを発給する決心をしました。

かつての日本領事館が現在、杉原記念館となり、彼の足跡はもちろんビザのおかげで亡命できたユダヤ人の証言、千畝と同様ユダヤ人を救うためにビザを発給したオランダ人外交官についても紹介されています。人道主義と博愛精神を優先した杉原千畝の決断が多くの命を救ったのです。


杉原記念館(Sugiharos Namai)
住所:Vaizganto 30, Kaunas, Lithuania
電話番号:373 32881
営業時間:10:00~17:00
土、日曜日 11:00~16:00 (11~4月は11:00~15:00)
休業日:なし (10~4月は土、日曜日)
カウナス駅から徒歩15分
料金:3ユーロ

是非杉原記念館で当時の様子を感じ取ってみてください。







ヨーロッパ周遊旅行の専門店 ユーロエクスプレス
ユーロエクスプレス

  • 杉原千畝
  • リトアニア