歴史と共に進化し続けるハープサルレースの伝統【エストニア情報】


エストニアのハープサルは有名なリゾート地です。
ここでもう一つ有名なものとしてハープサルレースがあります。一つ一つ丁寧に手で編みこまれたレースは高級品として扱われています。

ハープサルレースの始まりは19世紀初頭。当時の女性は生活費を稼ぐために何か作れないかと考え、レース編みをはじめるようになりました。初期のころのレースのショールは地元の羊毛を使って家で糸を紡いでいたため、比較的厚手の作りになっていました。そのうち工場で糸を生産するようになり、細い糸が手に入るようになります。

一躍人気となったのは、1825年ハープサルに泥治療の施設が建設されたことがきっかけでした。ロシアの皇族や貴族が保養に訪れるようになると小さな町はリゾート地として発展していきます。それに伴い、滞在するご婦人方を魅了していったのが、ハープサルレースのショールでした。

第一次大戦中、レース編みは減少したものの、ロシア帝国崩壊後に独立を果たしてからは、制作を再開。スカンジナビアの国々やドイツ、イギリス、カナダからもレース製品を買い求める人々がやってくるようになりました。

ハープサルレースは高価なギフトとしても知られるようになり、1932年に当地を訪れたスウェーデン皇太子グスタフ・アドルフには、八角の星型のデザイン「クラウン・プリンス」のショールがプレゼントされ、1992年にはスズランのモチーフのショールがスウェーデンのシルビア王妃に贈られました。

そして1940年代ソ連がエストニアを併合すると、ハープサルレースは大量生産を余儀なくされ、機械網の時代へ突入します。そのためヌプのないショールが生産されましたが、伝統的な編み方は家庭で母から子へと受け継がれていきます。昔は、娘が7~8歳になると、母親がレース編みを教える習慣がありましたが、現在は学校でも教えるようになっているようです。

独立を勝ち取ったこの地で、ハープサルレースの伝統はこれからも守られていくでしょう。








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