ベートーヴェンのウィーン時代


ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン

ベートーヴェンの交響曲といえば、オープニングが有名な『交響曲第5番運命』、年末になると演奏される『交響曲第9番合唱(いわゆる第九)』が広く知られていますが、ピアノソナタ「第8番悲愴」「第14番月光」「第23番熱情」もベートーヴェンの3大ピアノソナタと言われ、とても有名です。

私自身は情熱的な楽章あり、甘く優美な楽章ありのピアノソナタの大ファンです。

日本では『楽聖』とも称されるルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)。神聖ローマ帝国時代のボン(ドイツ)に生まれ、オーストリア帝国時代のウィーンに没しました。

 

 

誕生から22歳でウィーンに移住するまで~ドイツ・ボン時代~

ベートーヴェン一家で最初に音楽家となったのはルートヴィヒの祖父でした。宮廷歌手だった祖父がボンに移住、楽長にまで上り詰めます。父ヨハンも宮廷歌手となりますが、酒におぼれ、祖父が亡くなると一家の生活は困窮していきます。

ルートヴィヒは父から音楽の才能を見出され、第2のモーツァルトを目指し厳しい音楽教育を受けます。度を越えた教育は虐待にも近いもので、後に持病として一生苦しめられる難聴の原因になったのではと言われています。

13歳で『ドレスラーの行進曲を主題とする変奏曲』を初出版、翌年ピアノ・ソナタ3曲をケルン選帝侯に献呈、ルートヴィヒ少年はその才能を余すところなく発揮していきます。困窮する一家の生活を音楽家として支えました。


16歳でウィーンを旅した際、ルートヴィヒは敬愛するモーツァルトを訪ね、面前でピアノの即興演奏を披露。弟子入りを希望しますが、母危篤の知らせを受け、ボンに戻ります。母の死の6年後、父も亡くなり、ベートーヴェンはウィーンに移住します。モーツァルトは、ベートーヴェンがウィーン入りする1年前になくなっていたため、弟子入りの願いがかなうことはありませんでした。 


誕生地のボンには、4歳まで暮らした生家、『ベートーヴェンハウス』があり、内部は記念館として見学できます。直筆の楽譜や演奏した楽器など貴重な品々が展示されています。ボンでは毎年9月頃、ベートーヴェン音楽祭が開催され、好評を博しています。


ウィーンに移住

1792年22歳の時、当時第一人者だったヨーゼフ・ハイドンに入門します。ハイドン多忙のため、師弟関係は自然解消となりますが、ウィーン移住後、ピアノ即興演奏の名手として名声を博し、演奏作曲家としても地歩を築いていきます。ウィーン生活が軌道に乗ると、弟たちをウィーンに呼び寄せ、親代わりとなって世話をします。

順調な音楽家人生の一方で、20歳代後半から持病の難聴が悪化、暗い影を落としていきます。人生に苦悩し、32歳のとき、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで「ハイリゲンシュタットの遺書」を記し、自殺を考えるものの苦難を乗り越える道を選択します。

40歳の頃には完全に聴力を失い、全く耳が聞えない状態のまま、56歳で亡くなるまで、16年にわたり音楽活動を続けました。

ベートーヴェンの作曲スタイルは、楽譜を何度も書き直し、修正を重ねていくというものでした。スランプも多くモーツァルトのような天才肌というよりは、努力の人といえましょう。苦悩に溢れた人生を懸命に生きたベートーヴェンの音楽は、それだからこそ聴くものの感情を激しく揺さぶるのかもしれません。

 

ベートーヴェンの人生に思いを馳せながら、所縁の地を訪ねてその人生をたどってみてはいかがでしょうか。


◆ベートーヴェンゆかりのスポットをご紹介します◆

★ベートーヴェン・パスクヴァラティハウス ※ウィーン:リンク周辺


建物の名「パスクヴァラティ」は、持ち主のパスクヴァラティ男爵の名前に由来しています。
パスクヴァラティ男爵はベートーヴェンのパトロンで、生涯に渡って友情関係を保ちました。転居の多かったベートーヴェンですが、この建物には1804年からの4年間と、1810年からの4年間、合計8年間ほど暮らしています。

この家では、オペラ「フィデリオ」や交響曲第5番「運命」、「レオノーレ序曲第3番」、「ピアノ協奏曲第4番」、「エリーゼのために」など有名な曲が多数誕生しています。建物5階がベートーベン記念館になっており、ベートーヴェンが実際に使用したピアノ、直筆の楽譜や遺品などが展示されています。



以下にご紹介するものは、ウィーン北部の『ハイリゲンシュタット』にあります。

★ベートーヴェン・ミュージアム
 (ハイリゲンシュタット遺書の家)

 

ウィーン北部の19区ハイリゲンシュタットに現存するベートーヴェン・ハイリゲンシュタット遺書の家にあった40㎡の記念館が拡張され、2017年11月末に265㎡の大規模なベートーヴェン・ミュージアムが新オープンしました。

1802年、32歳の時、この家でベートーヴェンは、弟たち宛てに「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためます。この手紙には、心の奥底にある多くの考えと次第に悪化していく難聴への絶望が記されていますが、結局この手紙は発送されませんでした。

ベートーヴェン・ミュージアムでは大作曲家の人生と作品を、最新の研究レベルで紹介しています。展示品の中には初期の補聴器や「プロンプターボックス」(音波を強化するためのもの)などもあります。オーディオ・ステーションでは、ベートーヴェンの難聴を追体験できます。






★エロイカハウス ※見学には2週間前までに事前予約が必要です。

ベートーヴェン・ミュージアムから数キロ離れた場所に、ベートーヴェンが1803年から翌年にかけて過ごした家があり、内部の3室が展示室となっています。ベートーヴェンが交響曲第3番「英雄(エロイカ)」を書き上げた時に住んでいたことから、「エロイカハウス」の名がつけられました。交響曲第3番「英雄(エロイカ)」は、尊敬する英雄ナポレオンに捧げる予定で書かれ、「ボナパルト」というタイトルがつけられていましたが、皇帝となったナポレオンの独裁ぶりに憤慨し、献呈をとりやめたといわれています。



★ベートーヴェンの散歩道

ベートーヴェンが交響曲第6番「田園」を作曲した「ベートーヴェン夏の家」(一般公開はされていません)近くのシュライバー川という小川に沿って続いている道は「ベートーヴェンの散歩道」と呼ばれています。緑も多く、この道を歩きながら交響曲「田園」の構想を練ったといわれています。今でも当時の面影を残しており、散歩道の置くの広場にはベートーヴェンの胸像があります。


★グリーヒェンバイスル

1447年創業の老舗で、作曲家ベートーベン、シューベルト、ブラームス、ワーグナーなどが訪れているレストラン。ベートーベンのサインが残されています。歴史あるお店で、本格的なウィーン料理を楽しめます。

 
2020年は、ベートーヴェン生誕250年記念の年。ウィーンでも記念イベントが多数開催されます。オーストリアエクスプレスでは、随時イベント情報をお伝えしますので、ご期待ください。


 








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