GW必見!  2019年ギリシャ・コルフ・マウンテントレイル ②観光地から見てみる歴史 その1 コルフ島?ケルキラ島?どっちの名前が正しいの?


 前回に引き続ごき紹介するのはギリシャ・コルフ・マウンテントレイル。今年のゴールデンウイークの最大10連休は、ギリシャ・コルフ島で過ごしてみませんか?レベルに合わせてレースをご選択ください。お子様用のキッズレースもありますので、お一人でも、ご家族でも楽しめるツアーとなっています。

今回ご紹介するのはコルフ島の観光地!日本ではあまり馴染みがないコルフ島ですが、観光地を巡るうちにコルフ島の歴史を紐解くことができ、この島の魅力がわかってくるでしょう。

さて、コルフ島のもう一つの名前があるのはご存知でしょうか。コルフ島はイタリア語、もしくは英語表記であり、ギリシャ語ではコルキラ島と呼ばれています。ではなぜこのように二つの名前があるのでしょうか。まずコルフ島の旧市街を見てみましょう。




コルフ島の旧市街の特徴は、様々な時代、国の建築物が立ち並んでいることにあります。
そもそもコルフ島は地理こそイオニア海、イオニア諸島に位置しますが、アドリア海の入り口にも位置しています。そのため太古のギリシャ・ローマ時代からコルフ島を海洋交通と重要な戦略要衝とみなされ、様々な国がこのコルフ島を手に入れようとしていました。元々はギリシャの一つポリスであったコルフ島ですが、ギリシャがローマ帝国に服従した後は、帝国の一都市になりました。

そののちヴェネツィア共和国の領土になってからは、現在の旧市街が形作られるようになりました。コルキラ島がイタリア語読みのコルフ島と言われるようになった理由は、長い間ヴェネツィア共和国領だったためです。
旧市街を歩いてみると、狭い路地が多いことに気づきます。これは敵が攻めてきたとき、大人数で隊列を組めないための工夫といえます。コルフ島は海洋交通の要であると同時に、要塞化された島だと分かりますね。



上の写真はコルフ島旧市街の北西にある、ネオーフルリオと呼ばれる要塞です。ギリシャ語で「新しい要塞」を意味するこの要塞ですが、実は16世紀のヴェネツィア共和国時代に建てられたものです。確かにギリシャ様式の面影はありますが、16世紀に建てられたものなので、イタリア建築の名残が残っている要塞です。なんだか不思議ですね。

もう一つ大きな要塞がコルフ島にはあります。パレオーフルリオです(下の写真をご覧ください)。ギリシャ語で今度は「古い要塞」と意味されるのですが、この要塞もヴェネツィア共和国時代に建てられたものです。ただパレオーフルリオにはいかにもギリシャ風の建物があります。しかしこの建物、はヴェネツィア共和国時代に建てられたものではなく、コルフ島がイギリス領になった時に建てられたものです。これにもコルフ島を巡る歴史を紐解かねばなりません。




ヴェネツィア共和国はナポレオンのイタリア戦役によって消滅しました。その後しばらくはコルフ島はフランス領になりましたが、ナポレオン戦争の処理を取り決めるウィーン会議によって、コルフ島はイギリス領になった歴史があります。この建物、アギオスゲオルギウス教会(セントジョージ教会)はその時に建てられたものです。

6本のドリス式の柱を持ち、古代ギリシャの趣を残す古典主義様式であるこの建物は、一見するとギリシャ時代に建てられたものだと勘違いしてしまいます。しかし、この勘違いを生み出すほど島の周囲に溶け込むことが大事なのでしょう。なぜなら、時の為政者がコルフ島の長い歴史を尊敬し、太古の伝統と自国の文化が融合した証拠が、この勘違いを生み出すのですから。

ここまで長くなりましたが、まだコルフ島の魅力はまだ半分しかお伝えできていません。次はコルフ島で最も有名なアヒリオン宮殿と、プリンセス・シシ―ことオーストリア皇后エリーザベトの歴史をご紹介します。

このツアーの詳細はこちら➡ 2019 5/2ー6(7) ギリシャ・コルフマウンテントレイル参加ツアー






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