スパルタとミストラ遺跡の不思議な関係


アテネから西方に広がるペロポネソス半島は、古代の遺跡が豊富に残された人気のエリアです。「ギリシアの偉大な田舎」とまで言われる半島の南側、スパルタの町から車で15分程の郊外にあるのがユネスコの世界遺産にも登録されているミストラ遺跡です!アテネのアクロポリスほど有名ではないものの、少々朽ちた様子がとっても味わい深く惹きつけられます。


上の町と下の町の境界辺りに位置するパンタナサ教会(Pantannasa Corvert)

この遺跡はスパルタ衰退後の12世紀、十字軍の遠征に参加したギョーム1世が建国しました。14世紀になりビザンティン帝国の支配下で山の斜面に発展していった城塞都市です。スパルタの町に中世の面影がないのは、当時 廃墟になっていたスパルタの石材をほとんどミストラに移してしまったからだとか。

ミストラ遺跡は、城塞によって大きく3つの区画に分かれています。スラブ人の監視目的に頂上に造られた「カストロ(城塞)」、貴族や富裕層が住んでいた「上の町」、修道院や教会があり一般市民が住んでいたのが「下の町」です。いつの時代にも、階級や格差が厳然としてあったことを考えさせられます。


パンタナサ教会、聖母マリアを記念した尼僧院

パンタナサ教会はミストラ遺跡の中で最も保存状態の良い教会であり、今も唯一機能している尼僧院です。教会の内部は15世紀から17世紀に描かれたフレスコ画が充実していて、どれも落剝して朽ちた様子に趣があります。フレスコ画の修復で歴史的な絵がすっかり変わってしまった!なんていうニュースも時にありますが、少々剥げ落ちる位が見る者の心を揺さぶるのかもしれません。


聖ディミトリオス教会(Agios Dimitrios)内部のフレスコ画

こちらの聖ディミトリオス教会では併設された僧房の一部が博物館になっているのでミストラの栄枯盛衰を知ることができます。ちなみにミストラの衰退は18世紀、この時スパルタ市の新たな建造にミストラの建材が再利用されたそう。中世のミストラ建設と逆のことが後世に行われたのは歴史の不思議…皮肉とも言えます。

ミストラ遺跡の拠点となるスパルタの町では9月27日~28日にアテネからスパルタまでの246kmの道のりを不眠不休で走る「スパルタスロン」が開催されます。スパルタ教育の語源となった町ですが、スパルタスロンの競技の厳しさからは程遠い素朴でのんびりした風景が広がります。









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