今回はイーペルにとっての猫と猫投げについてご紹介します。
<中世における猫>
ヨーロッパでは黒猫は魔女の使いだと考えられていた という話を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。
中世ヨーロッパでは、多くの猫が過酷な運命をたどりました。
数多くの民俗祭で猫が犠牲になりました。生贄として猫が捧げられることが多かったのです。拷問を受け、殺された猫もたくさんいました。
このようなことは、当時の西ヨーロッパでは当たり前のように行われていたようです。
なぜ対象が猫だったのか?その理由は定かではありません。猫は魔女の仲間だとか、悪魔の使いだ、などと考えられていたことも理由の一つなのでしょう。
また、単に猫が増えすぎて困っていたため"処分"していたという説もあるようです。

<イーペルと猫投げ>
前回もご紹介したようにイーペルは繊維産業で栄えた街です。
イングランドから輸入されたウールは、いったん繊維会館に保管され、そして職人へと売られていきました。
職人の手に渡ったウールは布へと加工され、再び繊維会館に戻ってきました。
そして、年に一度の品評会(fair)の時期が来るまで、そこでずっと保管されていました。
しかし、困ったことに、ウールが大好きなネズミがやってきて、布を食べ、巣を作り、工場でたくさんのこどもを産みました。
そこでイーペルの人々がとった解決策は、お腹の空いた猫を繊維会館に放つことでした。
初めのうちは全て上手くいっているかのように思われましたが、ネズミを食べた猫もまた、たくさんのこどもを産んだのです。
イーペルの人々は、たくさんのネズミの代わりに、今度はたくさんの猫に悩まされるようになりました。
動物が増え、ペストが蔓延するのを恐れた街の人々は、猫を鐘楼から投げ落とすことにしました。
こうするよりほかに方法がなかったのです。
こうして、「猫投げ」が行われるようになりました。
<猫投げの歴史>
猫投げについて最も古い記述は、1410年~1420年のイーペルの編年史で見つけることができ、その中で、猫投げはよくキリストの昇天祭と結び付けられています。
1476年に昇天祭がレントの第二週になってからは、「灰の水曜日」ならぬ「猫の水曜日」に猫投げが行われていました。
ある編年史によると、猫は初めは聖マルティヌス聖堂から投げ落とされていましたが、1231年以降は鐘楼から落とされるようになったそうです。
しかし、別の編年史によれば、鐘楼が完成したのは1304年ということですので、真実は定かではありません。
また、街が繁栄した年には、そうでない年に比べて、投げ落とされた猫の数は少なかったそうです。
例えば1594年は街の状況が好転した年なのですが、その年にはたったの3匹しか投げ落とされなかったそうです。
最後に生きた猫が鐘楼から投げ落とされたのは、1817年のことでした。
興味深いことに、最後の最後に投げ落とされるはずだった猫は、あわてて逃げて、死を免れたそうです。
この1817年から第一次世界大戦までの間、イーペルの猫祭りでずっと変わらずに在り続けたものは、「猫の水曜日」のカリヨンの音色だけでした。
ヨーロッパにおける猫、イーペルにおける猫、猫投げについていかがでしたでしょうか?
ちょっとした歴史を知っているだけでも、猫祭りはもちろん、観光もより深く楽しめます。
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